白滝幾之助

没年月日:1960/11/25
分野:, (洋)

 日展会員白滝幾之助は脳軟化症のため東京都大田区の自宅で逝去した。享年88才。明治6年3月17日兵庫県但馬国に生れた。早くから父に別れ、母の手一つで育てられ、小学校卒業後は鉱山関係の仕事に奉職していた。明治23年上京して築地の工手学校に入学したが、和田三造の兄、和田正造にすすめられ生巧館画塾に入り画家となる決心をする。やがて黒田清輝の天心道場を経て美術学校に入学、明治31年に卒業した。この間、明治27年第4回内国勧業博覧会に「待ち遠し」が入選、褒状を受け有栖川官家買上となっている。38年、セントルイス万国博覧会を機会に渡米し、苦学しつつ、更に欧州に渡り、パリ、ロンドンに滞在して修業、7年後に帰朝した、米国、英国の留学によって肖像画に興味をおぼえ研究を重ねた。帰国後は文展に出品をつづけ、以後帝展、日展と戦後の晩年まで官展系の作家として、審査員として写実的作品を発表しつづけていた。

略年譜
明治6年3月17日、兵庫県但馬国に生れる。
明治23年 上京、工手学校、更に生巧館画塾に入り山本芳翠の指導をうける。又天心道場で黒田清輝に学び、美術学校に入学する。
明治27年 第4回内国勧業博覧会に「待ち遠し」が入選、褒状をうける。
明治31年 東京美術学校卒業。白馬会展に「稽古」出品
明治38年 渡米、更に英仏に渡り44年帰国
明治44年 第5回文展「老人肖像」「裁縫」(褒状)
大正3年 第8回文展「野村氏の像」(二等賞)
大正4年 第9回文展に無鑑査となり「撫子」「収獲」「某氏の像」を出品する。
大正8年 第1回帝展「ハリス氏像」出品。
大正9年 第2回帝展、「芍薬」「コンデル博士の像」出品。この年から審査員を屡々つとめ、以後官展の無鑑査出品をつづける。
昭和3年 第9回帝展「マンドリーヌ」
昭和6年 第12回帝展「松翁氏の像」
昭和8年 第14回帝展「朝霧」
昭和12年 第1回文展「新緑」出品
昭和15年 奉祝展「富士」出品
昭和23年 第4回日展「ミス・ムラタの像」
昭和27年 26年度芸術院恩賜賞をうける。
昭和28年 第9回日展「鶏舎」
昭和35年 11月26日没

出 典:『日本美術年鑑』昭和36年版(137-138頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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