保田龍門

没年月日:1965/02/14
分野:, (彫)

元日本美術院同人の彫刻家保田竜門は、2月14日動脈硬化症のため堺市の自宅で死去した。享年73才。本名重右衛門。明治24年5月13日和歌山県那賀郡に生れ、大正6年東京美術学校西洋画科を卒業した。在学中第2回二科展に入選し、同6年文展で「母と子」(油彩)が特選となった。また在学中から彫刻もはじめ、卒業後は日本美術院に絵と彫刻の両方を出品し、大正9年に日本美術院同人となった。同年7月渡米し、主として紐育でレムブラントの模写に従事した。翌10年3月渡仏し、パリのグランショミエールでブルデルの指導を受け、傍らジョルジオーネ、クールベ等を模写し、また翌11年にはローマでティツィアーノ等を模写している。大正12年帰国し郷里に住んで院展に出品したが10年後、大阪に出て制作をつづけた。戦後中央には出品せず、和歌山大学教授として、また大阪市立美術研究所で後進の指導にあたったが、現在ここ出身で活躍中の彫刻家も少くない。また制作の主なものとしては、名古屋市平和公園の記念塔のレリーフがある。
略年譜
明治24年(1891) 5月13日和歌山県那賀郡に生る。
大正4年 「自画像」等三点、二科展入選。
大正6年 3月、東京美術学校西洋画科本科卒業。日本美術院彫刻部に入る。
「母と子」文展特選となる。
大正7年 「母の像」(油彩)「石井氏像」(樗牛賞)(第5回院展)。
大正8年 「男の習作」「K氏の像」「O氏の像」。熊野風景の内「蓬菜山」「成川遠望」「熊野地」(油彩)(第6回院展)。
大正9年 日本美術院彫刻部同人となる。渡米。シャヴァンヌ作「漁夫の家族」(シカゴ美術館)模写。レムブラント作「石竹を持てる女」「サスキア入浴」等(メトロポリタン美術館)模写。ミレー作「馬鈴薯の種まき」(ボストン美術館)模写。
大正10年 3月パリに入り、グランショミエールでブルデルの指導を受けた。各所美術館で模写に従事。ジョルジオーネ作「田園奏楽」。セザンヌ作「カルタを取る人」モーリス・ドゥニ作「聖母子」(以上ルーブル美術館)クールベ作「セーヌ河畔の娘達」(プチパレー美術館)。
大正11年 ティツィアーノ作「聖愛と俗愛」「ヴィナスの教育」(ヴィラボルゲーゼ美術館)。
大正12年 10月18日帰国(神戸入港)。郷里に居住。
大正14年 「少女」「首」(ベートーヴェン)「臥女」(12回院展)。
大正15年 「女の首」(13回院展)、「裸女群像」(聖徳太子奉讃展)。
昭和2年 「岳父像」「裸男女群像」(14回院展)「クリスチーヌ嬢」(明治、大正名作展)。
昭和3年 「岡崎邦輔翁像」創作鋳造。
昭和4年 「河本博士古稀像」「河本夫人還暦像」「M伯像習作」「とわ子嬢」「辻本聾唖学校長像」(16回院展)。
昭和5年 「三尾南汀翁像」(17回院展)。
昭和6年 「垂井逸水翁像」(18回院展)。
昭和7年 「呑天鈴木先生像」「M伯像試作」「赤尾善次郎翁像」(19回院展出品)
昭和8年 「寺田元朝翁像」鋳造(岸和田市建立)、「辻利右エ門翁像」(宇治平等院裏に建立)。
昭和9年 「岡本先生像」(21回院展)(和歌山高等商業学校建立)。
昭和11年 「吉岡訓導殉職像」(23回院展)(山口県教育会蔵)。
昭和12年 「牧野環先生像」(24回院展)。
昭和13年 「角谷源之助校長像」(静岡師範内に建設)。
昭和14年 「裸女立像」「湯川村長像」「坐せる女」(26回院展)「丹生都比壱命」「高倉下命」(和歌山県庁庁舎壁面)。
昭和15年 「吉田松蔭」(静岡県教育会委嘱)
昭和16年 「水町氏像」(28回院展)。
昭和17年 「すさのをの命」(木彫一樟材、紀の川改修のとき川底より掘り出されたる巨材の一部)
「阿修羅」(浮彫)。
昭和18年 「日本神話」(絵巻)製作はじめる。
昭和21年 3月、大阪市立美術研究所彫刻部教授。「クリスチーヌ」(国立近代美術館彫塑展)。
昭和22年 「母子像」(6尺、白セメント)(大阪市立美術館野外彫刻展)「技芸天」(7尺立像、セメント着色)(天王寺美術館蔵)。
昭和23年 「母子像」(油絵120号)「木村大譲翁銅像」(海南市内海小学校)。
昭和24年 「杉本市長喜寿像」(和歌山県新宮市)。
昭和26年 「裸行上人絵伝」(那智青岸渡寺)。
昭和27年 「玉置吉之烝氏像」。
昭和29年 紀陽銀行壁彫四部作完成(林業-春、漁業-夏、柑槍-秋、繊維-冬)森武楠翁胸像(日高郡丹生小学校建立)。
昭和30年 「南弥衛門翁胸像」。
昭和31年 名古屋平和塔「大壁面」。
昭和32年 名古屋平和塔「立像」。
昭和33年 名古屋平和塔「立像」。
昭和34年 名古屋平和塔「小横面」。
昭和35年 「交通安全記念像」(香里成田山)。
昭和36年 「樽本夫人胸像」「堀善之助胸像」。
昭和37年 「高垣善一胸像」(和歌山市長)。
昭和38年 「松下幸之助夫妻胸像」(和歌山市婦人児童会館)、「岡崎清次郎翁像」。
昭和39年 「松下幸之助夫妻浮彫」(和歌山市婦人児童会館)。

出 典:『日本美術年鑑』昭和41年版(110-111頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「保田龍門」『日本美術年鑑』昭和41年版(110-111頁)
例)「保田龍門 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9036.html(閲覧日 2024-04-23)

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