島田墨仙

没年月日:1943/07/09
分野:, (日)

 文展審査員島田墨仙は7月9日胃癌のため東京荏原区の自宅で逝去した。享年77。本名豊、慶応3年福井藩島田雪谷の二男として生れ、はじめ父に絵を学んだが、没後独学、明治29年上京して橋本雅邦門に入つた。30年秋の日本絵画協会第3回展に大石良雄をかいた「致城帰途」を出して認められ、36年春の第5回内国勧業博覧会には「大石主税刺鼠之図」を出して3等銅賞を得、著名となつた。文展では「俊寛」「鯨波座禅」「到聖孔子四哲図」「基督」を出し授賞はされなかつたが、第6回帝展には委員に推された。その描くところはほとんど歴史画人物画であり、好んで先哲聖賢の肖像をあつかい、精神充実した気格高い作品を出した。晩年はいよいよ画技も冴え、「塙保己一」「山鹿素行」のごとき名作を出している。後者は芸術院賞に推され、芸術院会員に擬せられたところであつた。
略年譜
慶応3年 10月9日福井藩島田広意号雪谷の二男として生る、幼名豊作、後豊と改む
明治9年 この頃より父について絵を学ぶ
明治15年 父雪谷、兄雪湖第1回全国絵画共進会に出品
明治17年 1月29日父没(57才)
明治18年 福井中学及び女学校に絵を教う
明治19年 5月4日母照子没
明治26年 兄雪湖上京
明治28年 第4回内国勧業博覧会の写真を見て上京を決意
明治29年 上京して橋本雅邦門に入る、日本絵画協会第1回展に「雲竜」を出す、3等褒状
明治30年 絵画協会第2回展「瀑布」、同3回展「致城帰途」銅牌
明治31年 福島県立第二尋常中学校に奉職
明治32年 絵画協会第6回展褒状1等
明治33年 同7回展褒状1等
明治34年 同9回展「野人競馬図」銅牌
明治35年 笹川章門の女節衣子と結婚
明治36年 第5回内国勧業博覧会「大石主税刺鼠之図」3等銅牌
明治37年 磐城中学教諭を辞して上京
明治40年 第1回文展「俊寛」
大正4年 第9回文展「鯨波座禅」国民美術協会第4回展「黄尋飛銭」二曲半双
大正6年 第11回文展「至聖孔子四哲図」3幅対、国民美術協会展「林逋先生」「深雪」「のどか」
大正7年 第12回文展「基督」
大正8年 如水会結成参加
大正9年 如水会第1回展「樹下美人」「老孔問答」双幅、「釈尊」「智恵の水」、同2回展「枯木竹石」
大正10年 東京会(春)「王摩詰」(秋)「李白捉月」
大正11年 日仏交換美術展「樹下美人」、東京会(秋)「親鸞稲田閑居」
大正12年 東京会(春)「聴雨」
大正13年 東京会(春)「大雅堂」(秋)「拈華微笑」
大正14年 日本南画院第4回展「漁夫吟」、東京会(春)「夕月」(秋)「秋雨」、第6回帝展委員となる
大正15年 日本南画院5回展「金粟如来」、東京会(春)「達磨」(秋)「霊椿」
昭和2年 第8回帝展「逍遥」、この年「田中光顕肖像」をかく、早大より渋沢子爵に贈る釈迦、基督、孔子の「世界三聖図」をかく、東京会(春)「白居易」(秋)「梅月」
昭和3年 第9回帝展審査員となる、帝展「李耳」出品、日本南画院7回展「蕉逐雄弁」、東京会(春)「翁」(秋)「瑞鳳」
昭和4年 イタリヤ日本美術展「秋夕」、日本南画院第8回展「虎渓三笑」、東京会(秋)「東坡」
昭和5年 ベルリン現代日本画展「老子図」、久弥宮家襖「知音」、東京会(春)「夏雲」(秋)「吹笙」
昭和6年 12回帝展「廊然無聖」、明治神宮絵画館壁画「王政復古」、フランス日本美術展「五月雨」、米国トレド―展「驟雨」、東京会(春)「此君」(秋)「秋色」
昭和7年 日本南画院11回展「出山釈迦」、東京会(春)「晩春」(秋)「美少年」
昭和8年 14回帝展「出山釈迦」、国民美術協会20周年記念展「富岳」、東京会(春)「白衣観音」(秋)「牧童」
昭和9年 日本南画院13回展「山科閑居」、15回帝展「王妃舞」、大礼記念京都綜合美術展「李白捉月図」、日満綜合美術展「大石良雄」、宮内省下令「屈原」、東京会(春)「五月雨」(秋)「猟馬帯禽」
昭和10年 坪内逍遥博士及び夫人の肖像画をかく、景岳会の依嘱による「橋本左内先生の肖像」、東京会(春)「月華曲」(秋)「竹里館」
昭和11年 改組文展「出師表」、東京会(春)「驟雨」「李白行吟」「山中の傑物」(秋)「寒山拾得」
昭和12年 東京会(春)「いざよひ桜」「人丸」、酒井秀治郎のために「楠公父子訣別図」をかく
昭和13年 第2回文展「東湖先生と橋本左内」、小西幸寛のために「吉祥天女」をかく、東京会(春)「送仲磨還日本」(秋)「山陽先生」
昭和14年 高田早苗夫妻の肖像画をかく、東京会(春)「日連上人」(秋)「定信公」
昭和15年 大毎東日奉祝展「菅公図」、東京会(春)「光明皇后」(秋)「舎人親王と大安万侶」
昭和16年 千葉県松戸神社のため二曲屏風一双「菅公図」をかく、第4回文展「塙保己一」、東京会(春)「鎌足公」
昭和17年 第5回文展「山鹿素行先生」、東京会(春)「竹田と山陽と」(秋)「蕃山先生吉野に隠る」
昭和18年 4月「山鹿素行先生」に対して帝国芸術院賞をうく、7月9日逝去、77歳

出 典:『日本美術年鑑』昭和19・20・21年版(87-88頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「島田墨仙」が含まれます。
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