本間正義

没年月日:2001/10/10
分野:, (美関)

 ながらく美術館の運営に携わり、美術史研究、美術評論でも多くの業績を残した本間正義は、10月10日膵臓がんのため死去した。享年84。1916(大正5)年12月25日、新潟県長岡市に生まれる。1940(昭和15)年3月、東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業、同年12月応召。中国各地に渡り、終戦後の46年6月に復員した。49年11月から53年9月まで埼玉大学文理学部助手として勤務した。同年同月より国立近代美術館調査員に任命され、57年10月より同美術館事業課研究員となった。63年3月には同美術館事業課長となり、69年7月からは同美術館次長に昇任した。77年、国立国際美術館の初代館長となる。81年に同職を辞した後、82年から1991(平成3)まで、埼玉県立近代美術館長を歴任した。この間、文化庁保護審議会臨時委員をはじめ、京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館の評議員会評議員、公私立美術館の各種委員をつとめた。また、68年の第1回インド・トリエンナーレ展、71年の第9回リュブリヤナ国際版画ビエンナーレ展、同年の第11回サンパウロ・ビエンナーレ展など、国内外の展覧会の審査員をつとめた。85年から90年まで、全国美術館会議副会長をつとめた。旺盛な美術評論活動のほか、美術史研究の面では、「天平時代絵師考」(『国華』732号から735号、1953年)など仏教美術研究から発して、近代日本の彫刻にも視野をひろげ、「平櫛田中の芸術」(『平櫛田中彫琢大成』講談社 1971年)、『近代の美術16 円空と橋本平八』(至文堂 1973年)などの業績がある。とくに、橋本平八研究では、造形主義的な近代美術研究に対して、円空から影響をうけた、アニミズムの視点がユニークで、近代美術にながれる水脈に焦点をあてたことは評価される。ほかに、『近代の美術3 日本の前衛美術』(至文堂、1971年)など、大正期の前衛美術研究についても先駆的な業績を残した。88年には、それまでの執筆してきた作家論と広範な視野にたって論じた展覧会、美術館の問題をめぐる評論文をまとめて、『私の近代美術論集』(全2巻 美術出版社)を刊行した。

出 典:『日本美術年鑑』平成14年版(245頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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