濱谷浩

没年月日:1999/03/06
分野:, (写)

 写真家の濱谷浩は3月6日午後2時57分、肺炎のため神奈川県平塚市の杏雲堂平塚病院で死去した。享年83。1915(大正4)年3月28日東京に生まれる。関東商業学校(現関東第一高校)在学中に写真部をつくるなど写真に熱中する。33(昭和8)年同校を卒業後、実用航空研究所を経て、オリエンタル写真工業に勤務。東京の下町風景を撮影、37年フリーのカメラマンとして独立。翌年瀧口修造、兄の田中雅夫らと前衛写真協会を、また土門拳らとともに青年報道写真家協会を結成する。41年政府の広報機関ともいえる東方社に入社、対外宣伝誌『FRONT』の写真を担当するが、上部と衝突して退社。44年新潟県高田市(現上越市)に移り、ここを拠点に日本海側の風土や人々の営みの記録に力を入れ、55年『カメラ』に「裏日本」を連載した。60年国際的な写真家集団マグナムの会員となる。60年代後半から目を世界の自然に向け、約8年間で六大陸を踏破、自然の妙を撮り続けた。五十年間の活動の軌跡をまとめた『濱谷浩写真集成―地の貌 生の貌』で81年日本芸術大賞を受賞。86年には米国の国際写真センターより世界最高峰の写真家に与えられるマスター・オブ・フォトグラフィー賞を、翌年には日本人写真家として初めてスウェーデン、ハッセルブラッド財団の国際写真賞を受賞した。この間90(平成2)年川崎市民ミュージアム、97年東京都写真美術館で個展を開催。終生反骨精神を貫き、教科書検定に反発、81年度芸術選奨文部大臣賞を返上したほか、戦争の罪滅ぼしの念からアジア諸国に図書を寄贈するなどの活動もした。作品集に新潟県内の村で行われる小正月の行事を民俗学の面からとらえた『雪国』(1956年)、『裏日本』(1958 年)、『見てきた中国』(1958年)、60年安保闘争を徹底取材した『怒りと悲しみの記録』、『日本の自然』(1975 年)、『學藝諸家』(1983年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成12年版(253頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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