田畑一作

没年月日:1994/10/19
分野:, (彫)

 新制作協会会員の彫刻家田畑一作は10月19日午前10時16分肺がんのため東京都世田谷区の関東中央病院で死去した。享年78。大正4(1915)年5月15日京都市中京区小川夷川上下ル下丸尾町に生まれる。父は菊池芳文門下の日本画家田畑秋濤。昭和8年京都府立一中を卒業。この頃より彫刻に志し、同年関西美術院に入り黒田重太郎に絵を学ぶ。同9年5月上京して二科会の番衆技塾に入学。藤川勇造に学び、恩師藤川の死去以後は、菊池一雄に師事する。同11年第1回新彫塑協会展に「長野君」で初入選。同16年第16回京都市展に「村の道」(油絵)「妹の像」(彫刻)で入賞。同年第6回新制作派協会展に「村井中尉」「千田大尉」で初入選の後同二展に出品をつづける。同19年第9回新制作派協会展に「久子」「戦傷荒木上等兵」を出品して新作家賞受賞。同21年第1回京展に「姑」を出品して京都新聞社賞受賞。同年上京して第10回新制作展に「画家藤田氏」「稲村君」を出品して新作家賞を受け同24年同会会員に推される。同37年9月ガーナのアクラ市内にある国立コルレブ病院に、同院で死去した野口英世の胸像をたて野口博士記念庭園を造るためにガーナを訪れ、同地の人々や黒人彫刻に感銘を受ける。この後、「若いマミー」「運ぶダゴンバ」等大地に根ざした生命感あふれる作品を制作しつづけ、同48年3月16日より21日まで銀座松屋7階画廊で「田畑一作展―アフリカ」を開催。同55年甲府の浅川画廊で田畑一作彫刻展を開く。同58年東京現代彫刻展に「花信園」を出品して大衆賞受賞。同59年大津の西武百貸庖4階画廊で個展を開いた。「肖像彫刻はモデルの一代記のようなもの、また彫刻の設置には周囲の修景が必要」とする藤川勇造の教えをうけ、肖像に佳作を生んだほか、昭和34年のエーザイ本庄工場造園、同37年ガーナ市コルレブ病院構内の日本庭園造庭、同年電気通信労政会館で竣工記念彫刻「飛びたつ白鳥」等彫刻を含む公共空間の制作にあたっては、「岩はきずいて草をすまわせる」ことをモットーに設計等も行なった。作品が「風吹けばにおう花のように」あることを目指し、大地と生命力が均衡を保ちつつ存在する植物のように自然と調和する造形を追求した。

出 典:『日本美術年鑑』平成7年版(356頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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