末永雅雄

没年月日:1991/05/07
分野:, (学)

 高松塚古墳の発掘を指導するなど、日本の考古学界に多大な貢献をした文化勲章受章者、橿原考古学研究所初代所長の末永雅雄は、5月7日午後2時30分、心不全のため大阪府大阪狭山市の自宅で死去した。享年93。明治30(1898)年6月23日、大阪府大阪狭山市に生まれる。小学校を卒業後、水戸学の系統をひく史学を学び、のち考古学と有職故実の個人指導を受けた。大正15(1926)年より京都帝国大学文学部考古学教室で「日本考古学の父」とされる浜田耕作の指導を受け、昭和9(1934)年『日本上代の甲冑』を上梓して同11年に帝国学士院東宮御成婚記念賞受賞。同著と同16年刊行の『日本上代の武器』により、東アジア文化史の視点に立ち、出土品の実証的研究にもとづく独自の方法論を確立した。一方、奈良県の嘱託として石舞台古墳、橿原遺跡などの調査に当たり、同13年橿原考古学研究所を設立。自由な私塾的雰囲気の中で多くの優れた研究者を育て、同26年より同所所長をつとめた。また、後進を率いて桜井茶臼山古墳、和泉黄金塚、新沢千塚古墳群などを調査し、同47年高松塚古墳の発掘を指導したことで広く知られた。また、同25年より関西大学で教鞭をとり、同27年より同43年まで同大教授をつとめ、同大名誉教授となったほか、大谷大学、龍谷大学、大阪市立大学、大阪学芸大学、大阪経済大学などでも教鞭をとった。同55年文化功労者に選ばれたのを機会にすべての役職から退いたが、その後も『古墳の航空写真集』を自費出版するなど、その実証的方法論にもとづく研究、著作をつづけ、同63年、考古学界で初めての文化勲章受章者となった。

出 典:『日本美術年鑑』平成4年版(296頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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