松村外次郎

没年月日:1990/06/20
分野:, (彫)

 彫刻界の長老であり、二紀会名誉会員であった彫刻家松村外次郎は、6月20日午後零時45分、心不全のため東京都新宿区の東京医科大学付属病院で死去した。享年88。明治34(1901)年9月17日、富山県東礪波郡に生まれ、早くから彫刻家を志し、大正5(1916)年、井波尋常高等小学校を卒業して富山県工芸学校(現、富山県立高岡工芸高等学校)木工科に入学する。同9年、同校を卒業し、同年9月に上京して吉田白嶺の内弟子となる。同10年、平和博覧会美術展に「雪の朝」で入選。同12年第10回院展に「女」で初入選する。同13年、東京美術学校彫刻科に入学。同15年、聖徳太子奉賛美術展に「一笑傾国」で入選する。東美校在学中に院展から二科展へ転じ、昭和2(1927)年、第14回二科展に「女の顔」「軍鶏」で初入選。以後二科展に出品を続ける。昭和4年東美校を卒業し、同6年6月に渡仏し古典石彫を中心に研究して同8年帰国する。同年第20回二科展に「真珠王」「女の顔」「マスク」を出品して同会会友となり、翌9年第21回二科展には「パリージェンヌ」「マドモアゼル・マサコ」「神農群像」を出品し「神農群像」で推奨を受ける。同11年二科会会員となり、同19年の二科会解散まで同会に参加する。戦後は、同26年二紀会に彫刻部が設けられると同展に出品を始め、同会委員となる。同29年から隔年で行われた現代日本美術展には1回展より5回展まで招待出品を続け、同30年、32年、34年には日本国際美術展にも招待出品する。また、新素材の可能性を探る「白色セメントによる春の野外彫刻展」にも、同30年第5回展から同41年第16回展まで出品。二紀会においては、同42年副理事長、同51年名誉会員となった。木彫、石彫、ブロンズやセメントを素材とする塑像など幅広い技法を修得し、初期から、形の根源にかかわる様々な古典彫刻に興味を示した。留学期から帰国後しばらくは人物像に西洋古典の研究の跡が認められ、昭和30年代には抽象的傾向を強めるが、晩年には中国など、東洋の古典的彫刻を思わせる作風へと変化した。熊谷守一中川一政らと親交があり、古典的造型の端麗さと暖かい人間性とを持つ作風を示した。同59年4月郷里の富山県民会館美術館で「松村外次郎回顧展」が開かれたほか、平成元年には出身地庄川町に同町立松村外次郎記念美術館が竣工した。年譜、出品歴は「松村外次郎回顧展」図録に詳しい。

二科、二紀展出品歴
第14回二科展(昭和2年)「女の顔」「軍鶏」(初入選)、15回「L子の顔」「中山氏立像」「牧氏の首」、16回「U氏像」「F女の顔」、17回(同5年)「立像」、18、19回不出品、20回「真珠王」「女の顔」「マスク」、21回「パリージェンヌ」「マドモアゼル・マサコ」「神農群像」(推奨)、22回(同10年)「エマージ」「天の川」「桃太郎」「猫」、23回「母と子」「芭蕉」、24回「顔」「モニューマン覇空」、25回「立山縁起」、26回「幼時の鹿之助」「犬」、27回(同15年)「和唐内」「背黒鴎」、28回「東天紅」、29回「タバコ」、30回「大空の決戦へ」
第5回二紀展(同26年)「はと」「いぬ」、6回「ユダヤ」「鷹」、7回「うしお」「リング」、8回「朝」「ことぶき」、9回(同30年)「フルーツ」「朝日先生」、10回「蓬瀬由来」「犬」、11回「裸婦」「鳩」、12回「トルソー」、13回「女王+トルソー」「シルクドチェッコ」、14回(同35年)「月輪」、15回「鳳鳥至」、16回「裸婦」、17回「裸婦」、18回「日章旗」、19回(同40年)「草笛」「鴉」、20回「原始居A・B・C」、21回「風の樹」「位相(トポロジー)」、22回「初平の羊」、23回「座る女」、24回(同45年)「リボンの娘」、25回「花たより」、26回「しゃも」「わし」、27回「袈裟山降雪(円空遺聞)」「ふたり」、28回「ゆびきり」、29回(同50年)「ゆらぐ」「西行」、30回「母と子」「とりのエチュード」、31回「天籟」、32回「ドイツ娘の顔」「フロイライン・ジグルン」、33回「熊谷先生」「エマージュ尋牛の友」、34回(同55年)「朱雀」、35回「橋本八百二像」「元武」、36回「鳳龍」、37回不出品、38回「白虎」、39回(同60年)「白虎」、40回不出品、41回「越の川」、42回「ひょうたん」、43回(平成元年)「蓮如上人(吉崎)」

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(298-299頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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