野口鎮

没年月日:1993/11/17
分野:, (彫)

行 動美術協会会員の彫刻家野口鎮は、11月17日午後2時2分、心不全のため東京都練馬区の高松病院で死去した。享年69。大正13(1924)年4月8日、東京に生まれる。本名鎮夫。昭和12(1937)年東京府湯島尋常小学校、同17年豊山中学校を卒業し、同年東京美術学校彫刻科に入学。同19年学業なかばにして宇都宮の陸軍飛行学校に入る。同20年、東京美術学校に復学、翌21年より加藤顕清に彫刻を学ぶ。同22年第3回日展に「若き人の像」が初入選するが、以後日展へは出品していない。同23年東京美術学校を卒業。父親が人形作家であったことから、翌24年人形劇団プークの美術部員となった。同29年より東京都港区立北芝中学校、同愛宕中学校、都立高等工芸学校の講師を歴任する。同37年UNIMA(国際人形劇連盟)日本代表としてポーランド、ワルシャワ会議に出席。同39年第19回行動展に「En,tropie」で初入選。以後同展に出品を続け、同41年同会会友、同46年第26回同展に「ほぞ」を出品して奨励賞を受賞。同48年同会会員となった。この間、同44年チェコ・プラハで行なわれたUNIMA第10回大会にも出席したほか、同年カンボジア・アンコールをも訪れている。初めは人体像を中心に具象彫刻を制作したが、戦後抽象彫刻へ移行。支柱と直交する角柱による「音叉」のシリーズの簡潔な造形から、昭和60年前後には、水道の蛇口などからしたたる水のしずくを共通のモティーフとする「水は天から貰い水」シリーズへと展開した。このほか、東京都田無福祉法人緑寿園ロビー、神戸市垂水区歌敷山通称院記念碑、泉佐野市犬鳴山七宝滝寺記念碑など公共の場のための制作も行なっている。美術教育にも寄与し、昭和51年から平成5年まで女子美術大学の講師をつとめた。

出 典:『日本美術年鑑』平成6年版(338頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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