松浦正昭

没年月日:2018/12/07
分野:, (学)
読み:まつうらまさあき

 美術史家・仏教彫刻史研究者の松浦正昭は、肺がんのため12月7日に死去した。享年72。
 1946(昭和21)年7月21日、群馬県新高尾村中尾(現、高崎市)に生まれる。65年3月、群馬県立前橋高等学校を卒業、同年4月に東北大学文学部に入学。70年3月、同大学を卒業、読売新聞社勤務を経て72年4月、東北大学大学院文学研究科美学・美術史学専攻に入学。74年3月、同研究科修士課程を修了し、4月より同大学文学部助手に採用される。77年10月、奈良国立博物館に着任。学芸課教育普及室長、仏教美術資料研究センター仏教美術研究室長を務め、2004(平成16)年4月より東京国立博物館に上席研究員として着任(文化庁美術学芸課美術館・博物館主任文化財調査官を兼務)。06年4月に富山大学芸術文化学部教授、11年3月、同大学を定年退職した。放送大学客員教授。
 東北大学文学部東洋・日本美術史研究室で仏教美術史研究者の亀田孜高田修、日本中・近世絵画史研究者の辻惟雄に指導を仰ぐ。とりわけ亀田からは、文献学に基づいた実証的な研究方法や自然科学的手法を取り入れた調査といった面で強い影響を受けたという。修士論文のテーマは平等院鳳凰堂雲中供養菩薩像だった。奈良国立博物館に勤務して以降は日本彫刻のみならず、韓国・中国の仏像、絵画や工芸にも関心を広げていく。作品を徹底して観察することに重きをおき、自らX線透過撮影を行うなどして彫刻の素材や技法的側面に関する研究を深めた。
 奈良国立博物館在職中には展覧会「菩薩」(1987年)、「檀像―白檀仏から日本の木彫仏へ―」(1991年)、「東アジアの仏たち」(1996年)、「ぶつぞう入門」(1996年)、「阿修羅との出会い」(1997年)、「国宝中宮寺菩〓像」(2000年)等を担当した。特に「東アジアの仏たち」は、広範にわたる地域や時代、横断的なジャンルの作品によって構成されており、松浦の関心領域の幅広さを示した展覧会と言える。東京国立博物館に籍を移して以降も「国宝吉祥天画像」(2005年)、「模写・模造と日本美術―うつす・まなぶ・つたえるー」(2005年)等の展覧会に携わった。著書に『日本の美術315 毘沙門天像』(至文堂、1992年)、『日本の美術455 飛鳥白鳳の仏像 古代仏教のかたち』(至文堂、2004年)。論文に「鳳凰堂供養飛天群とその密教的性格」(『美術史』97・98、1976年)、「東寺講堂の真言彫像」(『佛教藝術』150、1983年)、「天台薬師像の成立と展開」(『美術史学』15、1994年/『美術史学』16、1995年)、「頭塔石仏の図像的考察」(『國華』1215、1997年)、「毘沙門天法の請来と羅城門安置像」(『美術研究』370、1998年)、「法華堂天平美術新論」(『南都仏教』82、2002年)、「年輪に秘められた法隆寺創建―法隆寺論の美術―」(『古代大和の謎』学生社、2010年)等。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(531頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松浦正昭」『日本美術年鑑』令和元年版(531頁)
例)「松浦正昭 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995876.html(閲覧日 2024-10-07)

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