長澤英俊

没年月日:2018/03/24
分野:, (彫)
読み:ながさわひでとし

 彫刻家の長澤英俊は3月24日、死去した。享年77。
 1940(昭和15)年10月30日に旧満州東寧(現、黒竜江省牡丹江市東寧県)に生まれる。45年、母の実家のある埼玉県三保谷村(現、埼玉県比企郡川島町)に移り、埼玉県立川越高等学校を卒業。63年に多摩美術大学インテリアデザイン科を卒業する。
 同校卒業後、東横百貨店家具設計室に就職するが、66年に東南アジア、中近東、ヨーロッパを自転車で横断する旅に出る。その中で訪れたイタリアのミラノで自転車の盗難に遭い、旅は中断。同地に滞在するようになった。以後、ミラノで制作活動を行い、海外で評価を受けることとなる。
 67年には、ミラノ郊外のセスト・サン・ジョヴァンニのアトリエに移り、同地で「貧しい芸術」を意味する前衛美術運動「アルテ・ポーヴェラ」の一員とされていたルチアーノ・ファブロなどと交流を持つ。彼らとの交流の中でイタリア現代美術の動向について学ぶこととなった。翌年、アンフォ国際芸術祭にマルサ・メルツらと共に参加し、「落差」を発表する。この作品は、湖畔に浮かんだ、プラスチック製の筒の中の汽水域を表したものであった。このように、当初はコンセプチュアルな作品や、オブジェなどを手掛けていたという。また、70年にはヴィデオ・アートを制作する他、パフォーマンス作品「風」を発表するなど、前衛的な表現を用いた作品を発表していた。また、同年5月には初の個展も開催する。
 71年、先述した「アルテ・ポーヴェラ」のメンバーとの議論に触発され、最初の彫刻作品、「オフィールの金」を制作した。この作品を機に、木、金属、石などの材料を駆使した詩的な彫刻作品を数多く手掛けるようになり、数々の国際美術展に出品を重ねた。72年の第36回ヴェネツィア・ビエンナーレ(同展には76年、82年、88年、93年にも出品)、73年の第8回パリ・ビエンナーレ、75年の第13回ミデルハイム・ビエンナーレ「日本の彫刻家20人」、77年の第10回ローマ・クワドリエンナーレ、1989(平成元)年の第20回ミデルハイム・ビエンナーレ 現代日本彫刻展、同年の第4回彫刻国際展、92年の第9回ドクメンタ、94年のミラノ・トリエンナーレ、98年の第9回カッラーラ彫刻ビエンナーレ(2006年にも出品)などで作品を発表した。
 また、国際美術展への出品の一方で、イタリアをはじめとするヨーロッパでの個展やグループ展、そして日本での発表も積極的に行った。国内では、72年の「第5回現代の造形<映像表現’72>」(京都市美術館)や、「ヨーロッパの日本作家展」(東京国立近代美術館他)、79年の「近代イタリア美術と日本」(国立国際美術館)、84年の第4回平行芸術展(小原流会館)、同年の「現代美術の動向III」(東京都美術館)、87年の「現代のイコン」(埼玉県立近代美術館)、89年の「かめ座のしるし」(横浜市民ギャラリー)、91年の「現代日本美術の動勢」(富山県立近代美術館)など多数のグループ展に作品を出品した。そして93年の個展、「天使の影」(水戸芸術館現代美術センター)では、旧作と新作を含む17点を発表し、その多様な表現とスケール感が大きな話題となった。
 その後も、95年の「日本の現代美術」(東京都現代美術館)、99年の「彫刻の理想郷」(神奈川県立近代美術館他)で作品を出品。そして、イタリアにおいても、2000年にブリジゲッラ市立美術館および市内各所で個展を開催し、インスタレーション作品を発表。05年の第21回現代日本彫刻展では、「メリッサの部屋」が大賞を受賞した。また、09年には川越市立美術館、埼玉県立近代美術館(同時開催)他3館を巡回した個展「長澤英俊―オーロラの向かう所」を開催し、翌年同展で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。
 長澤は先述のように、イタリアを軸に国外で活動を展開したが、日本国内においても野外彫刻で作品をみることができる。つくばセンタービルの「樹」(1983年)、新宿アイランドの「Pleiades」(1995年)、東京ビッグサイトの「七つの泉」(1995年)、南長野運動公園の「稲妻」(2004年)、多摩美術大学の「TINDARI」(2007年)が現在でも設置されている。
 2000年代からは教育者としても活動し、04年からミラノ国立ブレラ美術アカデミーと多摩美術大学において教鞭を執った。客員教授として後進を指導した多摩美術大学では、歿後、その功績を顕彰し、長澤の意思を次世代に継ぐことを目的とした追悼シンポジウム「NAGASAWA芸術の種子を語る」が八王子キャンパスで開催された。
 長澤の圧倒的なスケールと哲学的な思想に支えられた詩的な雰囲気を持つ作品は、国際美術展を中心に評価され、国内外で後進に影響を与えた。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(502-503頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「長澤英俊」『日本美術年鑑』令和元年版(502-503頁)
例)「長澤英俊 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995666.html(閲覧日 2024-04-25)

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