保田春彦

没年月日:2018/01/17
分野:, (彫)
読み:やすだはるひこ

 彫刻家で武蔵野美術大学名誉教授の保田春彦は1月20日老衰のため死去した。享年87。
 1930(昭和5)年2月21日、和歌山県那賀郡龍門村大字荒見(現、紀の川市)に生まれる。父は、21年にパリへ留学し、グランド・ショミエール美術研究所でブールデルに師事した彫刻家・画家の保田龍門である。
 47年に東京美術学校彫刻科予科に入学し、石井鶴三に師事した。48年、同校本科彫刻科に入学。52年に同校を卒業し、堺市立金岡中学校に図工教師として勤務をはじめる。同時に、大阪市立美術館付設美術研究所にも所属した。また、同年には第37回院展で「肖像」が奨励賞を受賞している。57年、第42回院展に「伝説」を出品し、奨励賞を再び受賞する。同作は、展覧会場でウエザーヒル出版社のメレディス・ウェザビーより購入の希望がされたことにより、大きな話題となった。同年には科学技術庁主催のSTAC留学試験に合格し、フランス政府保護留学生の資格を取得。58年、神戸港から出港し、パリへ渡った。
 パリでは、龍門と同じくグランド・ショミエール美術研究所に入所し、オシップ・ザッキンに師事する。また、先に滞在していた水井康雄や、パリ在住の中村直人などとも交流があったとみられる。59年、クリティック・シュス賞で第一席を受賞。さらに、第1回パリ青年美術家ビエンナーレ展に選抜出品をはたす。同年11月には同校を修了し、イタリアに拠点を移した。その後、ローマ、ウィーン、シュトゥットガルト、ミラノなどで個展やグループ展を重ねる一方、65年に「在外日本作家展」(東京国立近代美術館)で日本でも活動が紹介される他、67年に「現代野外彫刻展」(レネアーノ野外彫刻美術館)に作品を出品し、評価を得ていった。
 68年、帰国。翌年、武蔵野美術大学専任教員として赴任する。帰国後は、同年の第1回現代国際彫刻展、1970年の第2回神戸須磨離宮公園現代彫刻展に出品している。同展では大賞を受賞した。さらに、71年には第10回現代日本美術展、第11回サンパウロ・ビエンナーレ、第4回現代日本彫刻展など国内外の展覧会に出品し、そのうちサンパウロ・ビエンナーレでは国際優秀賞、現代日本彫刻展では宇部興産賞を受賞している。また、同年に第21回芸術選奨文部大臣新人賞と第2回中原悌二郎賞彫刻の森美術館賞(現、中原悌二郎賞優秀賞)を「作品」で受賞するなど、国内外で高く評価された。
 73年には第5回現代日本彫刻展で神奈川県立近代美術館賞を受賞。翌年には第2回長野市野外彫刻賞、第4回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で神奈川県立近代美術館賞を受賞。75年には第13回アントワープ国際野外彫刻展に出品。同年第6回現代日本彫刻展では、東京都美術館賞・群馬県立近代美術館賞を受賞している。また、77年には第3回彫刻の森美術館大賞展選賞を受賞した。1995(平成7)年には、大規模個展を神奈川県立近代美術館他で行う。同年に「聚落を囲う壁Ⅰ」で第26回中原悌二郎賞を受賞し、さらに和歌山県文化賞にも選ばれている。翌年には紫綬褒章を受章。99年には武蔵野美術大学教授退任記念として「保田春彦展」が同校で開催された。
 2005年には神奈川文化賞、07年には第23回平櫛田中賞を受賞。10年には個展「「白い風景」シリーズとクロッキー」(神奈川県立近代美術館)を開催した。13年、自身と龍門の往復書簡集『保田龍門・保田春彦 往復書簡集 1958―1965』を刊行し、15年に和歌山県立近代美術館にて「保田龍門・保田春彦展」が開催され、親子二代にわたる活動が顕彰された。
 展覧会への出品と受賞の他に特筆すべきは、70年代から80年代にかけて街中への野外彫刻の設置が流行したことを背景に、保田の彫刻の多くが野外へ設置されたことだろう。1973年には和歌山県の御坊市庁舎に「仰角のある立方体」「16等分された空」、翌年には神奈川県の大和市庁舎に「都市」を設置。81年には故郷の和歌山那賀総合庁舎に「十字の構造」を、慶應義塾大学に「都市―住居、文教、開発、通商」を制作。また、84年には静岡市立中央図書館に「古址の残像」、東京都のガーデンプラザ広尾に「T〔タウ〕の構造」、90年には東京体育館に「都市の構造」、91年には大阪市立大学に「聚落の単位―幕舎の場合」などが設置された。また、美術館にも多くの野外彫刻を納めており、札幌芸術の森野外美術館、世田谷美術館、平塚市美術館、和歌山県立近代美術館などにも作品が設置され、市井の人々の目に触れることとなった。
 その作品の多くは、鉄、ステンレス、コールテン鋼を使用した構造的な抽象彫刻であったが、2000年代になると、これまでの作風とは異なる、木彫による「白い風景」シリーズを制作し話題となった。その一方で、2000年に武蔵野美術大学を退任するまで後進の育成に携わった他、数々のコンクールの審査員や委員を務め、制作活動の他にも彫刻界の発展に大きく貢献した。

出 典:『日本美術年鑑』令和元年版(496頁)
登録日:2022年08月16日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「保田春彦」『日本美術年鑑』令和元年版(496頁)
例)「保田春彦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/995621.html(閲覧日 2024-11-01)

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