新井喜惣次

没年月日:1988/01/28
分野:, (彫)

スポーツに取材した人物像で知られる彫刻家新井喜惣次は、4月7日午後2時18分、じん不全のため東京都豊島区の長汐病院で死去した。享年95。明治26(1893)年3月12日、栃木県足利市に生まれる。大正5(1916)年東京府豊島師範学校を卒業し、昭和3(1928)年東京美術学校彫刻科選科に入学。のち本科に転科し、8年同校本科を卒業。11年同研究科を修了する。朝倉文夫に師事し、朝倉塾展に出品を続けるほか、昭和9年第15回帝展に「槍投」で初入選。12年第8回国際美術教育会議に日本側委員として出席するために渡仏する。ひき続きパリで彫刻を研究し、欧米を巡遊して13年に帰国する。戦前は構造社展にも出品。戦後は21年の第1回展から日展に出品し、24年第5回展出品作「鉄鎚投」、36年第4回新日展出品作「タックル」など躍動する肉体の一瞬をとらえたブロンズ像を多く制作する。24年より東京学芸大学助教授となり、26年同教授となって31年停年退官するまで長く後進の指導に当たる。その後も昭和学院短期大学教授、東京成徳短期大学教授を歴任し、54年東京成徳短大名誉教授となった。雅号として孤巌の号を用いた。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(253頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「新井喜惣次」『日本美術年鑑』平成元年版(253頁)
例)「新井喜惣次 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9921.html(閲覧日 2024-04-19)
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