吉岡常雄

没年月日:1988/08/25
分野:, (工,染)
読み:ヨシオカ, ツネオ*、 Yoshioka, Tsuneo*

 大阪芸術大学名誉教授の染色家吉岡常雄は、8月25日午後7時55分、心不全のため京都市伏見区の蘇生会総合病院で死去した。享年72。大正5(1916)年京都で三代続いた染屋に生まれ、日本画家吉岡堅二は兄にあたる。昭和11年桐生高等工業学校(現群馬大学)染織別科を卒業。戦後31年頃より染色作家を志し、走泥社の作家とともに染料を研究、前衛的作品を制作する。33年モダンアート協会会友となるが、35年頃正倉院展で古代染織品に感銘を受け、以後古代染織と天然染料の研究へと向かう。41年帝王紫(貝紫)への関心の高まりを受けて奄美大島を訪ね、節子の浜で貝紫に使用するアクキ貝科の棲息を確認。翌42年同地でアクキ貝科の「ヒロクチイガレイシ」を採集し、貝紫の染色実験に成功する。43年帝王紫の研究のため渡欧し、ナポリ湾で貝を採集、帝王紫の復元に成功する。またレバノンのシドンで帝王紫の染織に使った貝の貝塚を発見する。44年メキシコ・オアハカ州ドン・ルイス村を訪ね、46年同村を再訪、また同州タナパラで今なお海岸で行なわれている貝紫染を見る。47年にはドン・ルイス村でも岩場での染色を確認、同村へは50年、57年、58年にも訪れている。この間、42年大阪芸術大学講師(染色材料学)、44年同教授に就任。また50年正倉院爽纈を復元し、以後55年京都祇園祭南観音山の見送りに使われていた貞享元年(1684)銘の古渡インド更紗、59年京都国友家伝来徳川家康拝領辻ケ花小袖、62年阿武山古墳副葬品大織冠をそれぞれ復元する。一方、50年東大寺、薬師寺などの古儀式の染織を奉納して以降、55年東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要に際し大幡(兄堅二と共同制作)・伎楽面・伎楽装束一式、60年法隆寺昭和大修理完成落慶法要に際し幡・八部衆装束、62年、1400年ぶりに再現された奈良飛鳥寺盂蘭盆会法要に際し幡および復元法衣、63年奈良県吉野郡多武峰談山神社に冠・装束を、それぞれ奉納した。著書として、48年『伝統の色』、57年『工程写真によるやさしい植物染料入門』、58年長年の研究成果をまとめた『帝王紫探訪』『日本の色・植物染料のはなし』などを刊行。63年『別冊太陽』創刊60号記念では、「源氏物語」「延喜式」の記述に基づき当時の染料、技法による源氏物語の色を再現した。63年京都・龍谷大学で西域仏教文化研究会が発足した際は、メンバーの一人として大谷探険隊将来裂の染織技法と色彩の究明に着手していた。54年東京銀座ミキモトホールで「日本の色」展を開催。また没後平成元年6月奈良県立美術館で回顧展が開催された。

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出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(267頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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