小塚新一郎

没年月日:1977/09/05
分野:, (学)

愛知県立芸術大学学長、もと東京芸術大学学長、東京芸術大学名誉教授の小塚新一郎は、9月5日午後1時43分、急性心不全のため名古屋市中区の国立名古屋病院で死去した。享年74歳。小塚新一郎は、カント哲学、教育学の研究で知られ、また東京芸術大学、愛知県立芸術大学のそれぞれ二代目の学長をつとめて、東京芸大においては学生運動、校舎改築問題などにたずさわり、戦後の芸術家教育に大きな足跡を残し、昭和48年には、勲二等旭日重光章をうけた。
主要著書、論文に『文化教育学研究』(訳書昭和10年刀江書院)、『文化哲学の諸問題』(昭和12年岩波書店)、『カント認識論の研究』(訳書、昭和27年創元社)がある。
略年譜
明治36年3月(1903) 12日横浜市に生まれる。吉川家の二男、のち小塚家をつぐ。西洋美術史家、東大名誉教授吉川逸治は実弟。
大正4年3月 横浜市立青木尋常小学校を卒業。
大正9年3月 神奈川県立第一横浜中学校を卒業。
大正9年9月 青山学院高等部人文科に入学。
大正13年5月 青山学院高等部人文科を卒業。
大正13年4月 東京帝国大学文学部聴講生となる(大正15年3月まで)。
大正15年10月(1926) ドイツに留学し、プロシヤ(ベルリン)国立大学に学ぶ。
昭和6年10月(1931) ベルリン大学においてドクトル・エト・マギステル・フィロソフィエの学位を取得し、帰国する。
昭和7年4月 22日、東京美術学校講師を嘱託され、図画師範科の教育学、心理学の講義を担当する。
昭和13年5月 文部省より欧州各国における社会教育状況調査を嘱託され、ドイツ、フランス、イギリスなどを巡歴する。
昭和15年8月 文部省よりドイツ国における戦時下青少年運動調査を嘱託され、ドイツへ赴く。
昭和19年6月 東京美術学校教授となる。
昭和21年6月 東京美術学校教授を辞任する。同月30日広島文理科大学非常勤講師を嘱託される(昭和23年3月まで)。
昭和24年6月 東京美術学校、東京芸術大学教授となり、哲学、倫理学を講義する。
昭和28年2月 東京芸術大学美術学部事務取扱、3月美術学部長に選出される。
昭和36年12月 東京芸術大学学長となる。
昭和42年 ヨーロッパにおける芸術教育制度の調査のためドイツ、フランス、イタリア、オーストリー、スイスを歴訪する。
昭和44年12月 任期満了により東京芸術大学学長を辞任する。同月、東京芸術大学名誉教授。
昭和45年4月 国立教育会館長に就任する。
昭和47年7月 国立教育会館長を辞任し、愛知県立芸術大学学長に就任する。
昭和52年9月 5日、名古屋市中区国立名古屋病院で死去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(275頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「小塚新一郎」『日本美術年鑑』昭和53年版(275頁)
例)「小塚新一郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9749.html(閲覧日 2024-04-18)

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