亀高文子

没年月日:1977/09/16
分野:, (洋)

女流洋画家の草分けの一人、亀高文子は、9月16日急性心筋こうそくのため西宮市の兵庫医科大学病院で死去した。享年91。明治19(1886)年7月8日、水彩画家渡辺豊次郎(豊州)の子として横浜に生まれる。同35年女子美術学校本科西洋画科に入学、同40年卒業し、この年父豊州のもとに出入りしていた小杉未醒の紹介で満谷国四郎に入門、また太平洋画会研究所に入って中村不折にデッサンの指導を受けた。同年東京府勧業博覧会に「杉の森」、翌年41には太平洋画会第7回展に「音無川」を出品し、同42年第3回文展に出品した「白かすり」が初入選し褒状を受けた。以後文展帝展に出品を続けたが、大正7年与謝野晶子らと女性だけの洋画家集団朱葉会を創立し同会展に制作発表を行った。同12年神戸に移住し、同15年同地に赤艸社女子絵画研究所を創立、昭和4年朱葉会を退会し、翌5年には兵庫県美術家連盟の創立に参加し会員となった。戦時中の同18年赤艸社を閉鎖したが、戦後同24年西宮市に移転して赤艸社を再開した。同37年兵庫県文化賞を、同46年には西宮市民文化賞を受賞した。また、同50年「亀高文子自選展」(西宮市大谷記念美術館)を開催した。戦前の代表作には、第12回文展「ダニエルの話」、第2回帝展「椅子による少女」、第5回帝展「少女と小猫」などのほか、第3回朱葉会展「カナダの少女」などがあり、戦後では昭和46年兵庫県文化賞受賞者展に出品した「風景(六甲連山)」「あじさい」などがある

出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(277-278頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「亀高文子」『日本美術年鑑』昭和53年版(277-278頁)
例)「亀高文子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9684.html(閲覧日 2024-10-12)

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