桑原実

没年月日:1979/02/11
分野:, (洋)

二科会会員、東京芸術大学教授の桑原実は、2月11日午前7時45分、脳内出血のため東京板橋区中村町の木村病院で死去した。享年66。久原実は、新潟県刈羽郡の出身で、1912(明治45)年3月10日に生まれ、1929年新潟県立長岡中学校を卒業、翌30年東京美術学校図画師範科に入学し、1933年3月に卒業した。同年、東京市下小岩尋常小学校代用教員となり、1935年同校訓導、39年池袋第5小学校、1946年東京第二師範学校、49年東京学芸大学となり、51年東京学芸大学附属豊島小学校教諭、54年東京大学教育学部附属中学校、同高等学校教諭、67年東京芸術大学助教授に転出、同大附属音楽高校教諭を兼務した。1970年東京芸術大学教授となり美術教育過程を担当した。作家活動としては、1935年第22回二科展に「父と子」が入選となり、以後、二科展に毎回出品、1942年会友、47年会員に推挙された。その間、ユネスコ・ジュニア文化センター理事長、日本造型教育連盟委員長、教育美術振興会理事などをつとめた。

二科展出品年譜
1935年 22回展 「父と子」
1936年 23回展 「起重機」
1937年 24回展 「窓」
1938年 25回展 「カルスト」
1939年 26回展 「彫刻家」
1940年 27回展 「自転車」
1941年 28回展 「勢揃へ少年群」
1942年 29回展 「黙想する少年達」
1946年 31回展 「散髪」「食べる人達」「路傍の兒」「建物」
1947年 32回展 「夏の子供」「人々」「真昼」
1948年 33回展 「アパート裏」
1949年 34回展 「ロータリー」「カルスト」
1950年 35回展 「街」
1951年 36回展 「夜」「プール」「一偶」
1952年 37回展 「夜のプール」「お化け煙草」「原っぱを通る若い夫婦」「屋上で褌を干す子供」
1953年 38回展 「踏切番」「水の上の群像」
1954年 39回展 「双生児の学園」「スポーツの後」「街頭の人」
1955年 40回展 「双生児連弾」「甲冑」「昼の花火」
1956年 41回展 「エキスパンダー」「背負う人」
1957年 42回展 「鴉」「塑像する小女と」
1958年 43回展 「テトラポット」「鳩と老人」「働く人」
1959年 44回展 「シャワー」「漁港の群像」「テトラポット」
1960年 45回展 「岩と青年」「犬と青年」
1961年 46回展 「野焼」「火山灰地」
1962年 47回展 「高原」「青年集う」
1963年 48回展 「プールサイド」「運ぶ人」
1964年 49回展 「ピカドール」「アクロポリスの石工」
1965年 50回展 「尼のいる構図」「ハタハタ水あげ」
1966年 51回展 「ピカドール行進」
1967年 52回展 「HATAHATA」「JOREN」
1968年 53回展 「石を刻む」「セベリアの道路工夫」
1969年 54回展 「断絶の子ら」「漁獲」
1970年 55回展 「コルドバの老人」「断絶の母子」
1971年 56回展 「ドウォモ広場の風船売」
1972年 57回展 「生えの祷り」
1973年 58回展 「International Airport Waiting room」
1974年 59回展 「モスクの人々」
1975年 60回展 「メデイナの外壁(モロッコ)」「メデイナの入口(モロッコ)」
1976年 61回展 「メデイナの父子(モロッコ)」「ルクソールの休日(エジプト)」
1977年 62回展 「ジェルバ島の渡し(チュニジア)」「遊牧の人々(チュニジア)」
1978年 63回展 「オアシスの洗濯(チュニジア)」「ラクダの馭者(チュニジア)」
1979年 64回展 「ラクダの馭者(チュニジア)」

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(264-265頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「桑原実」『日本美術年鑑』昭和55年版(264-265頁)
例)「桑原実 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9654.html(閲覧日 2024-02-22)

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