白井烟嵓

没年月日:1976/01/19
分野:, (日)
読み:シライ, エンガン*、 Shirai, Engan*

 日本画家白井烟嵓は、1月19日肺ガンのため東京・世田谷の国立大蔵病院で死去した。享年81。本名白井龍。字瀧司。明治27(1894)年2月8日愛知県豊橋市に生れ、二松学舎を卒業した。大正6(1917)年南画家松林桂月に師事し、同9(1920)年第2回帝展に「幽栖」が初入選した。以後も帝展に出品をつづけ、第6回「山靈★雨」、第10回「秋林」、第14回「残★」、第15回「雨」、改組帝展「冰松」などがあり、新文展では第3回雨意」、第5回「松籟」などがある。戦後は日展に出品し、主もな作品として第2回「雨後」、第3回「山峡」、第4回「峡壁飛泉」、第5回「雲行雨施」(特選)があり、第6回では依嘱により「雪暮」を出品した。ついで第7回「蒼然暮色」、第8回「雪峰隔谷深」(白寿賞)、第10回「山湫雨余」、があり第11回「雨岫」以後依嘱出品になる。昭和33(1958)年社団法人日展となってから以後も委嘱出品として、第1回「一鳥不飛天地寒」、第2回「雨亦奇」、第3回「煙山晩鐘」、第4回「山雨将来」、第5回「浄池霜暁」、第6回「飛雪」、第7回「名号池」、第10回「竹林幽趣」、第11回(1968)「松」などの出品がある。またこの間、昭和15(1940)年には日本橋三越に、同32年及び35年には渋谷東横に個展を開催し、同36(1961)年第1回日本南画院出品「秀弧松」は文部大臣賞となった。官展のほか、日本画会、松子社展、日本南画院、後寿会、静賞会、南画院、日月社などにも出品した。画風は写生をもとに、古雅な風趣をもつ。なお青年時代(1918)外海家と養子縁組したが、のちこれを解消(1933)した。したがって帝展出品は外海烟巖とされるが、第14回展以降白井烟巖となり、新文展第3回展より、烟嵓を用いている。又渡辺崋山事蹟関係の功績により、豊橋市文化賞を受賞し、崋山出身地田原町名誉町民となる。

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出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(270頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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