氷見晃堂

没年月日:1975/02/28
分野:, (木工)

木工芸家、重要無形文化財保持者の氷見晃堂は、2月28日午後2時5分、胃ガンのため金沢市の石川県立中央病院で死去した。享年68歳。明治39年10月30日金沢市に生まれた。本名与三治。雅号の晃堂は、自分でつけ、昭和18年頃より使用した。大正10年3月金沢市小将町高等小学校の高等科を卒業したが、当時、陸軍の種々ご用達をつとめていた御用商人の祖父や父が商人よりも他人の世話にならぬ手職を身に付けた方がよいという考えにしたがい、近くの指物師北島伊三郎について指物技術を3ヶ年修業した。さらに唐木細工で献上品などを製作していた池田作美に私淑し種々指導を仰ぎ、殊にデザイン面での強い影響をうけた。大正15年石川県工芸奨励会美術工芸展に「三重棚」を出品、準会員に推薦された。この年、江戸時代に途絶えていた砂みがき法を復活するなど、以後ほとんど独学研究によって古くから伝わる加賀指物の技法を再発掘し、現代に生かしてきた。昭和3年には石川県工芸奨励会正会員に推薦された。主として生活調度としての火鉢、棚、莨盆などの製作に長技を発揮して知られたが、中央展出品の活動は、戦後にはじまったといってよい。戦後第2回の日展(昭和21年)に初入選以来、第13回までの日展に11回入選、昭和30年から日本伝統工芸展に出品するようになり、昭和49年の第21回日本伝統工芸展までに18回入選、その間2回奨励賞、1回特別賞(第20回展「大般若理趣分経之箱」20周年記念特別賞)をうけ、審査員を第18回と第21回に、鑑査員を第8回から第13回、第15回から第18回、第20回・第21回までつとめた。昭和44年3月19日には、石川県指定の無形文化財(木工芸)技術保持者となり、翌45年4月25日には国指定の重要無形文化財(木工芸)技術保持者、世にいう人間国宝に認定された。前記したように伝統的な指物技術を守るとともに、それを改良工夫して合理的なものとし、やはり「砂磨き」と同様、江戸時代に絶えていた「木象嵌」の装飾技法を復活させ、殊に晃堂独特の加飾法として金銀の線を木肌に象嵌する「線象嵌」や「縮れ象嵌」の技法を創案し、木工芸に新しい息吹をふき込んだのが有名である。

出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(292-293頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「氷見晃堂」『日本美術年鑑』昭和51年版(292-293頁)
例)「氷見晃堂 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9522.html(閲覧日 2024-04-19)

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