野口光彦
御所人形作家野口光彦は、8月6日肺化のう症、心不全のため、東京都文京区の氷川下セツルメント病院で死去した。享年81。本名光太郎。別号光比古。明治29年2月23日東京日本橋に生れ、人形師であった父清雲斎に師事し、三世を継承した。昭和11年2月新帝展に「村童」が初入選し、翌12年 第1回文展で「砂丘に遊ぶ子供」が特選となった。翌第2回文展「弓を持てる子供」、同第5回文展「歓喜童児」は、いづれも宮内省買上げとなった。戦前にはそのほか、サンフランシスコ、ニューヨーク各万国博覧会に商工省よりの依嘱により、「鈴を持てる子供」、紀元2600年奉祝展「八咫島童児」、全日本工芸美術展「麦風」(昭17)、第1回東京工芸綜合展「村童」、同第2回「丘上に起てる子」、興亜造形文化展「歓喜」などがある。戦後は主として日展に出品し、第3回では無鑑査出品、第5回審査員、以後は依嘱出品となった。彼は祖父の代からの人形師を継承したが、昭和初期京都御所人形の伝統の上に写実的な作風を持ち込み、人形づくりを芸術として確立した先駆者であった。幼児の動的姿態を造形化するのが得意だった。日本伝統工芸鑑査員。現代人形美術展審査員歴任。博多人形展審査員歴任。絵本「一寸法師」(共著)の著作がある。
出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(269頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「野口光彦」『日本美術年鑑』昭和53年版(269頁)
例)「野口光彦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9498.html(閲覧日 2024-10-10)
例)「野口光彦」『日本美術年鑑』昭和53年版(269頁)
例)「野口光彦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9498.html(閲覧日 2024-10-10)
以下のデータベースにも「野口光彦」が含まれます。
外部サイトを探す