長谷川三千春

没年月日:1971/02/25
分野:, (洋)

一陽会会員の洋画家長谷川三千春は、2月25日午後、食道ガンのため東京・文京区の自宅で死去した。享年60才。明治43年(1910)8月15日、広島県に生まれ、昭和9年(1934)京都高等工芸学校を卒業し、昭和11年都新聞社(現・東京新聞)に入社、昭和12年(1937)24回二科展に「菊と蝶」が初入選し、以後、二科展に「黄昏の街」(昭和13)、「津軽の漁村」(同14)、「風景」(同17)を出品、戦争中は技術関係の業務についた。戦後は二科展に復帰し、昭和29年特待となったが、昭和30年(1955)、一陽会創設に参加、同会会員となった。昭和39~40年、中近東からスペインへ旅行。
作品略年譜
「盛夏」「漁群」(昭和21)、「虫」(同22)、「浜辺」「午睡」(同24)、「ビールを呑む」(同25)、「涯地の漁港にて」(同26)、「飛ぶ雲」「孤独な雲」(同27)、「雲の散歩」(同28)、「秋田」「老朽船」(同29)、「浜辺の静物」(同30年、一陽展)、「浜辺」(同31)、「流木の歌」「海水浴場」「ながれ」(同32)、「白い道」「白い静物」(同33)、「原野より」(同34)、「開拓地にて」(同35)、「原野の街」(同36)、「原野の街・団地も流木」「終着駅」(同37)、「オホーツクの海」「オホーツクの村」(同38)、「糸車の譜」(同39)、「城塞・イスラエル」(同40)

出 典:『日本美術年鑑』昭和47年版(80頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「長谷川三千春」『日本美術年鑑』昭和47年版(80頁)
例)「長谷川三千春 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9437.html(閲覧日 2024-04-19)

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