土田文雄

没年月日:1973/02/22
分野:, (洋)
読み:ツチダ, フミオ*、 Tsuchida, Fumio*

 洋画家、国画会々員土田文雄は2月22日脳軟化症のため、東京都中野区の自宅で逝去した。享年72歳。明治34年2月22日山形県米沢市絹織物製造業土田志賀蔵、母千代の長男として生れる。大正7年、米沢中学卒業後上京、川端画学校に入り藤島武二に師事する。大正10年、日本美術院洋画部に「海」を出品、画壇への初入選であった。大正12年から春陽会展に作品を出して毎回入選する。大正15年国画会創立とともに、傾倒していた梅原龍三郎の勧めによって国画会に出品するようになり、昭和4年、第4回国画会展「河岸の丘」他四点展入選、樗牛賞をうけ、昭和18年同会々員となった。この間文展の招待出品作家となって信州風景を出品していた。戦後も、国展の他、毎日新聞社主催の連合展、現代日本美術展等に出品、没年迄活発に制作をつづけ46年長年勤務の武蔵野美術大学を定年退職し、翌年渡仏、同地で暫く制作の予定であったが、体の調子悪く10月に帰国、そのまま病床の人となり誕生日の2月22日逝去した。

略年譜
明治34年 2月22日山形県米沢市に生れる。
大正7年 米沢中学卒業後上京、川端画学校に入学、藤島武二に師事する。
大正10年 日本美術院展に「海」を出品する。
昭和12年 第1回春陽会展に出品。
大正14年 10月、松山市の錦織物製造業大西熊吉次女、次枝と結婚。
大正15年 国画会の創立に際し、梅原龍三郎のすすめで同会に出品するようになる。
昭和4年 第4回国画会展に「河岸の丘」
昭和7年 国画会々友となる。
昭和13年 この頃信州を好んで安茂里などに毎春旅行し、高原、湖畔などの作品を数多くつくる。
昭和16年 文展に出品。
昭和18年 第18回国画会展に出品、国画会々員となる。
昭和22年~28年 毎日新聞社主催連合展に「緑林」、「新緑」「山湖」「中国服の女」「画室」「風景」等出品。
昭和29年 武蔵野美術大学教授となる。(46年退職)
昭和31年~38年 現代日本美術展及国際美術展に「風景」「海浜の朝」「秋の道」等出品。
昭和32年 米沢市より功績賞を受ける。
昭和47年 渡仏
昭和48年 2月22日没

「*」の読み、ローマ字表記はWeb NDL Authoritiesを利用
出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(242-243頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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