森田亀之助

没年月日:1966/02/21
分野:, (学)

 前金沢美術工芸大学長で美術史家の森田亀之助は、2月21日脳出血により金沢市の自宅で死去した。享年83才。号亀之輔、煙無形、冥霊子、光明、華明。明治16年1月20日東京京橋区に生れ、同39年東京美術学校西洋画科本科を卒業した。同校在学中とくに教授岩村透に就き西洋美術史と英語を修め、旁ら東京神田国民英学会、芝区セントアンドレウス夜学校で英語を修めた。美術学校卒業後は同校助手となり英語授業を分担し、大正4年には英語の外美術史担任となり、同6年助教授となった。大正14年欧州留学を命ぜられ、昭和2年帰朝したが、昭和4年再び暑中休暇を利用し欧州古写本絵飾調査の為渡欧し、同年教授となった。昭和19年東京美術学校を退職し、同年沢藤電機株式会社青年工員教育顧問として聘せられたが翌年これも退職した。同年戦災を蒙り家屋、書籍等悉く灰燼となったが、翌21年偶石川県金沢市において、美術工芸専門学校創立され、その校長として招かれたため金沢市に移住した。同25年同専門学校が短期大学になったので、その学長となった。美術学校卒業後同校勤務の外東京女子高等師範学校、多摩帝国美術学校、東京府立第一高女高等科第2学年等を兼務している。又金沢に在っては、金沢美術工芸大学長のほか、石川県文化財専門委員、北陸美術文化協会長などを兼ね北陸美術界のため活躍した。なおまた明治42年より美術学校勤務の余暇雑誌「美術新報」の編輯に参与し、大正3年頃迄毎月海外美術界消息、外国美術家評伝を執筆した。その他新聞雑誌等に美術関係の研究評論等を多く執筆している。主な寄稿誌は次の通りである。美術新報、美術週報、美術、芸術、中央美術、美術新論、アトリエ、南画鑑賞、旬刊美術新報、日伊文化研究、回教世界、中外、図画教育等。著書「芸術家と芸術運動」(大正4年)趣味之友社。「岡田三郎助作品集」本文評伝。(昭和21年)美術書院。

出 典:『日本美術年鑑』昭和42年版(135頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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