中村真
洋画家、モダンアート協会運営委員の中村真は、5月14日午後10時52分、腹膜細胞肉腫のため大阪市立大学付属病院で死去した。享年54歳。19日阿倍野斎場で、日本美術家連盟小磯良平関西支部長が葬儀委員長となり告別式が営まれた。大正3年5月30日大阪市で生まれる。本名真三郎。昭和3年から赤松鱗作画塾に学び、昭和6年大阪市立工芸学校工芸図案科を卒業、既に在学中の昭和4年春、関西二科系の有力団体である全関西美術展に入選発表しはじめ、同9年全関西美術協会会員に若くして推された。二科展には、同6年17歳の年少で入選し、天才少年画家の出現として衆目を集めた。以後同12年まで発表を続けた。同12年には東京と大阪で抽象画37点による第2回個展を開き、翌13年自由美術家協会展に「秩序について」他4点を出品参加、同14年同展には「描かれたもの」など15点を大量出品して会員に推挙された。同16年~20年兵役に服し、戦後自由美術家協会再建に参加するとともに、いち早く関西美術界の新動向への推進に中心指導者的な活躍を示した。同25年退会してモダンアート協会創立に参加、会の発展に没前まで尽力した。昭和45年4月、第20回記念モダンアート展では、彼の遺作が特別展示されたが、その出品目録で、「彼の芸術への考え方及び作品は常に進歩的で、世に一歩先きんじていた。画面は清潔で色彩は豊富で形態は簡素であり、然もそのデッサンはしっかりしている。それらの画の内には、特殊な現代人の詩情が秘められていた。」と村井正誠が追惜している。展覧会以外の作品に、「キャバレーハリウッド(昭25)」「梅田ビル壁画(昭30)」「各地朝日ビル及びフェスチバルホール、関西電力等建築レタリング」「大阪冨国ビル・ステンレス製壁画(昭39)」「大阪婦人子供服会館壁画(昭39)」「府立勝山高校壁画(昭39)」などがあり、死去前まで万国博日本政府館展示設計者として努力していた。日本美術家連盟関西支部委員長、大阪芸術大学デザイン科主任教授でもあり、関西美術界で幅広い業績を残した。
出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(81-82頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「中村真」『日本美術年鑑』昭和45年版(81-82頁)
例)「中村真 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9208.html(閲覧日 2024-12-05)
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- ■美術界年史(彙報)
- 1950年08月 自由美術家協会から荒井竜男ら脱退