原勝四郎

没年月日:1964/04/14
分野:, (洋)

洋画家原勝四郎は、脱ソ症のため4月14日和歌山県田辺市紀南病院で死去した。享年78歳。明治19年(1886)4月5日和歌山県田辺市に生れ、同市の中学校卒業後東京美術学校予備科に入学し、本科に進学して間もなく同校を退学。以後白馬会溜池研究所で黒田清輝に学んだ。大正6年(1917)印度支那から船員としてフランスに渡航、パリで働きながら、アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエールに学び、またイタリア、アルジェに放浪旅行をして、大正10年帰国。同年8回二科展に「風景」2点が入選。昭和5年(第17回展)に大阪から出品しているが、ほとんど郷里を出ず、自らを画工とよぶ一種の隠遁生活を送る。昭和15年岡田賞受賞、特選となり、翌年会友に推挙された。戦後二科会から二紀会に分離するとき、彼も行動を共にしたらしい。二紀会の15回展では同人努力賞を受賞しているが、14回展を最後に無所属になった。渋い色調であるが、フォーヴ的な荒々しい大きな筆触で風景と人物画を描いた作品が多い。
二科展出品目録
8回「風景」「風景」、16回「海岸風景」、「母子像」、17回「風景」、18回「風景」、19回「画工像」「風景」、20回「婦人像」「海辺松林」、21回「画工像」「風景」、22回「画工とその婦」「初冬風景」、23回「自画像」、24回「海岸風景」「少女像」、25回「青シャツ」「海岸」「風景」、26回「海岸新緑「画工」、27回「頭像」「小湾」、28回「道化」「番所鼻」、29回「少女像」「窓際」。
二紀会出品目録
1回不明、2回「裸婦」「海辺松林」、3回「裸婦」「四月島」、4回「風景」「裸婦」、5回「娘の像」「江津良の海」、6回「海辺」「樹蔭」「海岸裸景」、7回「婦人像」「海辺」「路傍」、8回「海辺」「顔」、9回「裸婦」「海辺」、10回「田辺湾遠眺」「老人像」11回「海辺」、12回「風景」「老人」、13回「不明」、14回「裸婦」。

出 典:『日本美術年鑑』昭和40年版(126頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「原勝四郎」『日本美術年鑑』昭和40年版(126頁)
例)「原勝四郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9152.html(閲覧日 2024-04-26)

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