翁朝盛

没年月日:1968/04/09
分野:, (彫)

彫刻家、創型会同人の翁朝盛は、4月9日午前7時30分腎臓病のため仙台市の東北大付属病院で死去した。享年61歳。明治39年8月30日仙台市に、宮彫師として東北にその名をうたわれた祐廷(初代翁家)の孫、二代目祐年の一粒種として生まれた。本名、盛。金華山黄金神社の社殿の彫刻はこの祖父子三代の彫刀にかかるという。盛は高等小学校を了え、暫らく父のもとで修業したが、大正13年6月上京して山崎朝雲の門に入り昭和8年まで学んだ。昭和4年日本美術協会展に入選、以後続けて12回出品、主席賞を2回受賞、無鑑査となった。昭和5年第11回帝展に「想出」が初入選した。以来新文展を通じて連続出品して同16年文展無鑑査。20年東京より郷里に疎開、戦後は専ら仙台に定住し、26年にはアトリエをつくって製作活動を続けるとともに地方美術の振興に尽力し、新東北美術展、宮城県連合美術展の審査委員をつとめるなど有力な存在となった。中央への発表は第6回日展(昭25)と第8回日展に出品し、それまでの官展系への発表を中断し、同34年には創型会同人として迎えられ、没前まで同会展へ新作発表を続けた。一方、昭和27年からは、彼独自の長年の研究によって創始した「錦彫」-<私の錦彫>錦は数多くの糸を紬いで豪華絢爛の美を現出しています。錦彫は詩情を心として、単純化と省略により、立体の芸術美を奏でる彫刻本来の詩情に基づく創作です。依って錦彫の名称が生まれたのです。云々-を公表し、人形風であるがまた別な風趣にとんだ彩色木彫を案出、39年には日本橋三越本店にて錦彫約30点を大々的に発表して個展を開いた。晩年の41年から仙台市三島学園女子大学教授(生活美術彫刻科)をつとめた。諸展覧会発表以外の代表作に「伊達正宗公像」(青葉神社御神体)、「土井晩翠像」(晩翠草居)、「平和母子像」(県庁前広場)、「黄金の館」(仙台市庁舎内)、「仁王尊像」(定義如来西方寺)等がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和44年版(61頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「翁朝盛」『日本美術年鑑』昭和44年版(61頁)
例)「翁朝盛 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9046.html(閲覧日 2024-03-29)
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