栗山文次郎
紫根・茜染め伝承者、無形文化財(人間国宝)指定の栗山文次郎は、6月27日午後11時40分、秋田県鹿角郡の自宅において脳軟化症のため死去した。享年77才。明治20年10月17日秋田県花輪に生れる。栗山家は、曽祖父は盛岡藩士であったが、その一族の中から秋田屋という店舗を開き、永く紫根染を家業のひとつとしてきたのであるが明治維新期に一時休止のやむなきにいたっていた。明治36年11月1日、父の先代文次郎の死により家業の呉服商を継いだが、古来の名産の杜絶えるのを憂い、古代紫根染(かづのむらさき)の復興に着手して工場を再建、染色事業を開始した。大正年間には東京三越に多量出陳して好評を博したが、化学染料の進歩によって大正13年倒産、以後事業を縮少し、また郷土の後援で小規模に製作を維持してきた。昭和4年、伊勢神宮遷宮式にあたり御用染物の命をうけた。昭和19年、商工大臣より「技術保存資格者」の指定をうける。昭和28年文化財保護委員会より、「助成の措置を講ずべき無形文化財」の指定をうけた。昭和35年文化財保護委員会より表彰を受け、39年10月黄綬褒章をうけた。
出 典:『日本美術年鑑』昭和41年版(102-103頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
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例)「栗山文次郎」『日本美術年鑑』昭和41年版(102-103頁)
例)「栗山文次郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8986.html(閲覧日 2024-12-02)
例)「栗山文次郎」『日本美術年鑑』昭和41年版(102-103頁)
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