広川松五郎

没年月日:1952/11/02
分野:, (工,染)

東京芸術大学教授、日展運営会参事。広川松五郎は11月2日練馬区の自宅で逝去した。享年62歳。明治22年新潟県三条市に生る。県立三条中学卒業後東京美術学校図案科に学び、大正2年卒業。同13年日本美術協会審査員となる。14年巴里万国装飾美術工芸博覧会に出品銀賞を得、15年には私立日本美術学校教授となる。又工芸団体「旡型」を創立その同人となつた。作品は主として官展に出品。昭和2年第8回帝展に入選以来、第9回、12回において特選授賞、昭和5年第11回帝展で無鑑査となつた。昭和8年第14回帝展で審査員となり、爾後官展において屡々審査員をつとめた。昭和7年には東京美術学校助教授となり、ついで10年には教授となつた。昭和15年越後工芸美術会を設立、25年には唯一の染織研究団体である示風会を創立、工芸美術の発展につとめた。
略年譜
明治22年 新潟県三条市に生る。
明治41年 新潟県立三条中学卒業。
大正2年 東京美術学校図案科卒業。
大正13年 日本美術協会審査員となる。
大正14年 巴里万国装飾美術工芸博覧会に出品。銀賞授与。
大正15年 工芸団体「旡型」創立、同人となる。日本工芸美術会常務委員になる。私立日本美術学校図案科主任教授に嘱託さる。
昭和2年 第8回帝展「唐草頌栄」(染色屏風)出品。
昭和3年 第9回帝展「壁用華布」出品。
昭和4年 第10回帝展「壁掛用華布」(特選)出品。
昭和5年 第11回帝展「藹染壁掛」出品。無鑑査となる。
昭和6年 第12回帝展「染色衝立」(特選)出品。
昭和7年 東京美術学校助教授になる。
昭和8年 第14回帝展審査員となる。
昭和9年 第15回帝展「手織つむぎ友禅壁掛」出品。無鑑査となる。
昭和10年 東京美術学校教授となる。
昭和11年 文部省美術展覧会委員となる。
昭和12年 第1回文展「革染三曲衝立」出品。
昭和13年 第2回文展「革染風呂先屏風」出品。審査員となる。
昭和14年 第3回文展「染壁掛蓬莱図」出品。第1回貿易局輸出工芸図案展審査員となる。
昭和15年 紀元二千六百年奉祝美術展「染皮鷹炉屏」出品。越後工芸美術会を創立。
昭和16年 第4回文展「染色松藤友禅二曲屏風」出品。
昭和17年 第5回文展「青海波四曲屏風」出品。審査員となる。
昭和18年 第6回文展「詩華集」出品。
昭和19年 文部省戦時特別美術展「四季礼讃二曲屏風」出品。
昭和21年 第1回日展「染色ばら二曲屏風」出品。
昭和21年 第2回日展「染色屏風本草六姿」出品。
昭和22年 第3回日展「あらべすく(友禅染塩瀬丸帯)」出品。審査員となる。
昭和24年 東京芸術大学教授となる。
昭和25年 第6回日展「染色水村風物壁掛」出品。審査員となる。染織工芸団体示風会創立。
昭和26年 第7回日展「つゆ草」出品。
昭和27年 第8回日展「染織壁掛はなかご」出品。
昭和27年 11月2日死去。勲5等瑞宝章を授け、従4位に叙せらる。

出 典:『日本美術年鑑』昭和28年版(139-140頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「広川松五郎」『日本美術年鑑』昭和28年版(139-140頁)
例)「広川松五郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8777.html(閲覧日 2024-10-12)

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