下村為山
疎開先の富山県西礪波郡に於て脳溢血のため逝去。享年85。本名純孝、慶応元年愛媛県松山に生る。明治20年前後本多錦吉郎、小山正太郎に就て洋画を学び同23年の第3回内国勧業博覧会に「慈悲者の殺生図」を出品して褒状を受けた。はじめ明治美術会に加つて、その展覧会に出品したが、同30年頃から日本画に転じ、南画家として知られた。又正岡子規の門に入り、内藤鳴雪、高浜虚子等と共に俳句を学び、その方面でも知られていた。
出 典:『日本美術年鑑』昭和22~26年版(139頁)登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「下村為山」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(139頁)
例)「下村為山 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8637.html(閲覧日 2025-02-07)
例)「下村為山」『日本美術年鑑』昭和22~26年版(139頁)
例)「下村為山 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8637.html(閲覧日 2025-02-07)
以下のデータベースにも「下村為山」が含まれます。
- ■明治大正期書画家番付データベース
- 1923(大正12) 大正拾弐年度改正東西画家格付表_806936
- 1926(大正15) 増補古今書画名家一覧_807116
- 1937(昭和12) 改訂古今書画名家一覧表 附古今書画名家印鑑譜_807016
外部サイトを探す