田中頼璋

没年月日:1940/02/16
分野:, (日)

日本画家田中頼璋は腎臓炎のため2月16日広島市の自宅に於て逝去した。享年73歳。本名大治郎、明治元年島根県浜田に生る。16歳の時長州の萩に赴き、森寛斎に師事した。暫く豊文と号したが明治35年上京、川端玉章の門に入る。当時日本美術協会に出品の「楼閣山水」が銅牌を、同37年の「山居水住」が銀牌を授与せられ、出世作となつた。其後、文展第2回に出品の「鳴瀧」が3等賞に入り、爾後文展、帝展に連年入賞し、帝展第5回に於て審査員に就任し、現在に及んでゐたもので、尚屡々御前揮毫の栄に浴した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和16年版(91頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「田中頼璋」『日本美術年鑑』昭和16年版(91頁)
例)「田中頼璋 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8580.html(閲覧日 2024-04-26)

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