長尾建吉

没年月日:1938/12/03
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磯谷額縁店主、嶽陽長尾建吉は、郷里静岡に於て静養中の処12月3日逝去した。行年79歳、高輪泉岳寺に葬られた。額縁製造業の創始者として、又数多の作家の恩人として、多年我が洋画壇の為に尽した功労者であつた。
 万延元年2月10日、静岡市磯谷利右衛門三男として生る。15歳の時東京日木橋斎藤商会店員となり、明治11年19歳にして、巴里万国博覧会へ松方総裁随行員として渡欧、翌年静岡県嘱託として濠洲シドニー博覧会へ出張、同年帰朝した。同13年3月渡米、5月小村侯等と英国に渡り、更に巴里に於て洋風家具を学んで、翌年帰朝、長尾家の養嗣子となつた。同22年上京し、山本芳翠と共に洋風家具及額縁の研究に従ひ、同25年芝愛宕町に洋画専門の額縁製造業を始めた。其後京都、大阪博覧会の洋画陳列を依託され、又同36年には、東京音楽学校に於ける日本最初の歌劇「オルフオイス」の背景を山本芳翠を援けて製作した。同37年常設展覧会場を京橋区竹川町に設け、翌38年工場及び店を芝区に移し、磯谷商店となし、美術雑誌「L・S」を創刊した。同41年文展の陳列を命ぜられ、現在に及ぶ。大正3年大正博覧会に出品、金賞受領、同13年東京日日新聞社より美術界功労者として、金賞を受く。明治37年の有栖川宮家に於ける室内装飾金箔工事をはじめ、赤坂御所、聖徳記念絵画館等の額縁工事を承つて居た。昭和4年知友主催で鶴見花月園に於て、古稀生別会を催した。故人の伝記には、「嶽陽長尾健吉」(長尾一平編纂)がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和14年版(113頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「長尾建吉」『日本美術年鑑』昭和14年版(113頁)
例)「長尾建吉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8529.html(閲覧日 2024-03-19)

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