森堯茂
彫刻家の森堯茂は11月12日、間質性肺炎のため死去した。享年95。
1922(大正11)年4月14日、愛媛県宇摩郡金田村半田(現、四国中央市)に生まれる。1935(昭和10)年に愛媛県立三島中学校に入学。〓凡社の『世界美術全集』を見てロダンを知り、彫刻への興味を持ったという。
40年に東京美術学校(現、東京藝術大学)彫刻科塑像部へ入学、44年に同校を繰り上げ卒業する。卒業後はおもに自由美術家協会に参加し、51年に第16回自由美術家協会展に「男 習作」と「丘」を出品。翌年第17回同展では「立像」を出品する。また、同年に自由美術家協会員に推薦された。53年の自由美術家協会彫刻会員展にコンクリートや白色セメントで制作された抽象彫刻「夜 No.1」「夜 No.2」「鳥 No.1」を出品する。56年の第20回自由美術家協会展では、量感に空洞をとりこんだ「脱殻」「殻の発展」を発表し、瀧口修造から高い評価を受けた。そして、60年の池袋西武デパートにおける第1回集団現代彫刻展では、鉄線による作品「落茫の空間に No.1」を発表し、さらに量感から解放された彫刻を発表した。それまでの彫刻において支配的であった、塊や量感を感じさせない、軽やかでありながら存在感を十分に感じさせるこの作品は、同年の『美術手帖』11月号の表紙を飾り話題となった。そして、62年の神奈川県立近代美術館における現代日本彫刻展に「とりこ」を出品。なお、同作は同郷の美術評論家、洲之内徹が購入した。
自由美術家協会での活躍の一方、57年には、日比谷公園野外彫刻展に「聚存 No.1」を出品するなど、当時新しい取り組みであった野外彫刻展にも積極的に参加している。58年には、神奈川県立近代美術館における「集団58野外彫刻展」に彫刻作品とドローイングを数点出品。60年には、同館における「集団60野外彫刻展」に「野外のかたち」を出品する。これらの展覧会をきっかけに土方定一などと交流を持つようになる。また、翌年の第1回宇部市野外彫刻展に「脱殻」「鳥 No.4」を出品。62年の第2回同展では「巣 No.19」を発表している。
63年から翌年にかけて、アメリカ、メキシコ、ヨーロッパ、エジプトを遊学。帰国後、制作の場を東京から愛媛県の松山市に移し、68年に松山市民会館において個展を開催した。同展では、「ユカタンの月」など、アモレ効果を用いた正面性の強い作品を出品し、遊学の成果を示す。また、69年には、同じく愛媛県出身の坪内晃幸とともに松山市の堀之内公園にて第1回愛媛野外美術展、71年には、愛媛県立美術館において第1回愛媛造形作家協会展を開催し、地元での現代美術の活性化に努めた。1991(平成3)年、93年には、三越松山店において個展を開催。90年代はおもに、「弧の空間」や「岬」といった、鉄板を組み合わせた作品を制作した。
2007年には、愛媛県の町立久万美術館において「造形思考の軌跡―森堯茂 彫刻の70年」展が行われ、愛媛県を代表する彫刻家として顕彰された。
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「森堯茂」『日本美術年鑑』平成30年版(457頁)
例)「森堯茂 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824356.html(閲覧日 2024-10-10)
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