徳川慶朝

没年月日:2017/09/25
分野:, (写)
読み:とくがわよしとも

 写真家の徳川慶朝は9月25日、心筋梗塞のため水戸市内の病院で死去した。享年67。
 1950(昭和25)年2月1日、静岡県静岡市瀬名(現、静岡市葵区)に生まれる。徳川慶喜直系の曾孫にあたり、父慶光は貴族院議員を務めた旧華族(公爵)。父方の伯母は高松宮宣仁親王妃喜久子。母和子は幕末の会津藩主松平容保の孫。
 生後まもなく東京・高輪に移り同地で育つ。小学校から高校まで明星学園に学び、72年成城大学経済学部を卒業。中学校で写真部に入るなど、早くから写真に関心を持ち、大学在学中には写真学校に通って技術を修得した。大学卒業後、本田技研工業系列の広告制作会社、東京グラフィックデザイナーズに入社、カメラマンとして自動車の広告写真の撮影などに従事し、約20年同社に勤務した後、フリーランスの写真家となった。
 写真を学ぶようになっていた学生時代に、自家に伝わる徳川慶喜ゆかりの幕末・明治期の写真に関心を持つ。慶喜自ら明治期に撮影した写真も多数遺されており、慶喜が使用した写真機材とともに、その整理、保存に努め、のちに『将軍が撮った明治―徳川慶喜公撮影写真集』(朝日新聞社、1986年)を監修、出版した。同書の刊行をきっかけとして、松戸市戸定歴史館に慶喜ゆかりの史料類を寄託、幕末明治の徳川家をめぐる調査研究に協力するようになる。またフリーランスになってからは、徳川家ゆかりの建造物や遺構、また徳川慶喜家伝来の遺品や史料類の撮影などをてがけるようになった。
 著書に『徳川慶喜家にようこそ』(集英社、1997年、のち文春文庫、2003年)、『徳川慶喜家の食卓』(文藝春秋社、2005年、のち文春文庫、2008年)、『徳川慶喜家カメラマン二代目』(角川書店、2007年)がある。また静岡文化芸術大学で非常勤講師を務めた。
 食全般に関して造詣が深く、自ら焙煎を手がけたコーヒー豆の販売や、飲食店の経営などにも関わった。2007(平成19)年には茨城県ひたちなか市に移住し、有機農法の稲作などにもとりくんでいた。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(454頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「徳川慶朝」『日本美術年鑑』平成30年版(454頁)
例)「徳川慶朝 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824336.html(閲覧日 2024-04-20)

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