高﨑元尚

没年月日:2017/06/22
分野:, (美)
読み:たかさきもとなお

 前衛美術家グループ「具体美術協会」の一員として活躍した現代美術家の高﨑元尚は6月22日に老衰のため死去した。享年94。
 1923(大正12)年1月6日、高知県香美郡暁霞村(現、香美市香北町)に生まれる。父元治は農家を生業とし村長も歴任。1940(昭和15)年、早稲田大学専門部工科建築科に入学。翌年休学、川端画学校に通う。42年、東京美術学校(現、東京藝術大学)彫刻科に入学、学徒出陣による海軍配属を経て、戦後同校に復学、49年、同校彫刻科を卒業。中学校教諭、自衛隊員などの職を経て、52年第2回モダンアート協会展に出品、この年高知に帰郷。54年第4回モダンアート協会展で新人賞受賞。50年代はピエト・モンドリアンを参照した抽象画を制作、その後「朱と緑」シリーズに展開。55年、高知モダンアート研究会を結成、東京から講師を招いて美術教育の講習会を開くなど啓蒙的な活動を行う。56年から土佐高等学校教諭に赴任(1988年まで)。57年、モダンアート協会会員に推挙(1970年に退会)。58年、「抽象絵画の展開」展(国立近代美術館)に出品。このころ、絵画と並行して写真制作に取り組み、高知の詩誌『POP』、北園克衛主宰VOUの機関誌や実験写真展で作品を発表。60年、村松画廊で個展を開催。61年、前衛美術グループ「グループ・ゼロ」のパフォーマンス「理由なくデモして街を歩く」(高知市帯屋町界隈)に参加。63年に矩形に切った白いカンバス片を板に碁盤目状に貼付した「装置」シリーズを開始。65年第16回選抜秀作美術展に招待出品。66年に具体美術協会加入。同年、第1回ジャパン・アート・フェスティバルに「装置」を出品。60年代から70年代にかけて鉛の板を壁面や床などに打ち付けた「密着」シリーズを制作。70年、日本万国博覧会ではグタイグループ展示などに参加。また同年若手作家の経験をつむ場として企画展シリーズ「現代美術の実験」を高知市で開始。72年、京都・ギャラリー16での個展で段ボール箱を破り裂いた作品「LANDSCAPE」を発表、以後建築資材、石膏、木、素焼き粘土などを用いたインスタレーションのシリーズ「破壊」を展開。78年にはアート・ナウ’78に「COLLAPSE」を発表、設置した700個以上のコンクリートブロックを一定の規則でハンマーで割り、鑑賞者にブロックの上を歩かせる方法で、偶然性による素材の変容を作品に取り入れる。「破壊」以後は、ゴムやパイプなど軽量素材を用いた可変オブジェ<不能>のシリーズに移行、80年代ニューウェーブ的な作風へと転身。1990(平成2)年頃より、具体美術協会の再評価の機運が高まり、複数の美術館の依頼に応えるため、「装置」シリーズの再制作を取り組み、同シリーズの新作も発表した。95年に高知県文化賞受賞。
 回顧展に「高﨑元尚 誰もやらないことをやる」(香美市立美術館、2016年)、「高﨑元尚新作展―破壊COLLAPSE」(高知県立美術館、2017年、企画=松本教仁)がある。12年12月に、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴによって聞き取り調査が行われ(聞き手は中嶋泉、池上裕子)、また生前の高﨑本人や家族から提供された資料に基づいた作家研究として塚本麻莉「規則と偶然の芸術―前衛美術家・高﨑元尚の制作活動」(『高知県立美術館研究紀要』9、2019年)がまとめられた。
 時代の動向に呼応したアクチュアルな表現を展開させ、東京や関西の現代美術界で評価を得て、その一方で活動基盤を高知に置き、高知市展、高知県展で継続的に作品発表をするとともに、さまざまなかたちで若手を支援する基盤を作るなど、地域の現代美術の振興にも取り組んだ。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(446-447頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「高﨑元尚」『日本美術年鑑』平成30年版(446-447頁)
例)「高﨑元尚 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824276.html(閲覧日 2024-03-29)

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