舟越直木

没年月日:2017/05/06
分野:, (彫)
読み:ふなこしなおき

 彫刻家の舟越直木は、5月6日に死去した。享年64。
 1953(昭和28)年1月14日、東京都に舟越家の三男として生まれた。父の保武、兄の桂はともに彫刻家である。78年に東京造形大学絵画科を卒業。83年にみゆき画廊で初の個展を開催する。84年と85年のギャラリーQにおける個展では、油彩画を発表。80年代後半から抽象彫刻を制作するようになる。
 87年からは、毎年続けてなびす画廊において個展とグループ展を開催している。以下は、すべて同画廊での開催展である。87年のグループ展「ぷろみしんぐ・なびす」において彫刻作品「WORK」と、それにともなうドローイングを発表。88年には、加茂博と中原浩大とともにデッサン展を開催し、「drawing」や「UNTITLED」などを出品する。1989(平成元)年の個展では、蜘蛛や脚を連想させる抽象彫刻「彫刻」「Serampore」とドローイングを発表。92年の個展では、「Chordeiles Minor」を出品した。この個展のカタログでは、同作や前年に発表した「Serampore」について峯村敏明が批評を執筆している。また、同展は『Japan Times weekly』で海外にも宣伝された。93年の個展では、「Chuckwill’s Widow」を発表。94年には、グループ展「金曜日のまれびとたち その3」を開催。同展には、笠原たけし、山崎豊三らも出品している。95年の個展では、「Bella coola」「MARONITA」「SASSETTA」「小さな夜鷹」といった小品を出品。96年のグループ展「匍匐は跳躍」では、石膏による「UGARIT」を発表。同展には、大森博之、黒川弘毅ら同世代を代表する彫刻家も参加している。97年の個展にはハート(心臓)から着想を得たと思われる石膏作品「the Queen of hearts」、ブロンズ作品「the Ace of hearts」「the nine of hearts」「the eight of hearts」「the Jack of hearts」を発表。また、それに伴うハートをモチーフにしたドローイングを出品した。99年の個展では、ドローイングと油絵のみ出品されたが、その表現は大きく広がりをみせた。昨年に引き続き「ピンクのハート」「3つのハート」など、ハートをモチーフにした絵画から、ひし形を表した「薄青いかたちのイメージ」、抽象的なかたちの「青のバックのなまけもの」や「drawing」などを発表。2001年の個展では、前回の個展で発表したドローイングを彫刻に発展させた作品「Al―Erg」「Erg Che Che」を多数出品。いくつもの球体が集合することで、ひとつの形を表す彫刻作品を制作した。03年のグループ展「新年のおくりもの」では、「Al―Erg」などの作品を構成していた球体ひとつひとつを解体したような作品「An Evacuees」を発表。05年「2月のおくりもの」では、石膏を赤い布で覆った「頭部」を出品し、新たな表現を獲得した。
 なびす画廊における個展やグループ展のほかにも、91~1998年、06年の世田谷美術館における「世田谷美術展」に作品を出品。また、90年の神奈川県民ホールギャラリーにおける「現代彫刻の歩み1970年以降の表現」展、93年の小原流会館における「<かたまり彫刻>とは何か」展、96年の佐倉市立美術館における「体感する美術’96」展、98年の新潟県立近代美術館における「インサイド/アウトサイド」展など数々の展覧会に出品。美術館での展示において同世代の彫刻家とともに高い評価がなされた。そのほか、横浜市民ギャラリー、ギャラリーGAN、田中画廊、MORIOKA第一画廊などでもグループ展などが開催されている。また、96年度には、父・保武の出身地である岩手県において美術選奨を受賞した。
 2000年代前後からは、その表現や活動範囲にさらなる広がりがみられる。97年には、新潟県立近代美術館に野外彫刻「夏の夜」を設置。同作は、舟越の作品の中で最も大型の作品である。04年、アートフロントギャラリーで行われた個展では、人体の胸像を思わせる作品を多数発表。06年のギャラリーせいほうで行われた個展では、「sleep」などの抽象彫刻を出品。同年のGALLERY TERASHITAにおける個展では、人間の頭部を思わせる作品「婦人像」を発表する。そして、08年のギャラリーせいほうにおける個展では、胸像を思わせる石膏作品「うつむく少年」などを出品。さらに、14年にはフランス、パリのatelier viscontiにおいて稲田美乃里との二人展も実現した。
 死去後、追悼展が多くのギャラリーや美術館で開催された。18年には世田谷美術館、19年にギャラリーせいほうにて個展が開催され、同年、平塚市美術館において開催された「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」でも彫刻とドローイングが数多く出品された。
 生前、無所属で作品を発表し続け、副業として他の職業に就くことなく、その生涯を彫刻とドローイングを通して「かたち」の探求に費やした。その作品と生き方は、同世代、後進の彫刻家に大きな影響を与えた。素朴で純粋な仕事の数々は、今も多くの人を魅了する。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(442頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「舟越直木」『日本美術年鑑』平成30年版(442頁)
例)「舟越直木 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824241.html(閲覧日 2024-04-27)

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