見城敏子

没年月日:2017/04/01
分野:, (学)
読み:けんじょうとしこ

 東京文化財研究所名誉研究員の見城敏子は、4月1日に死去した。享年89。
 見城は1927(昭和2)年9月14日、大阪市住吉区に生まれた。40年に大連弥生高等女学校に入学、同校を44年3月に卒業後、4月に大連メリノール家政学院入学、46年4月に同校を卒業、48年に帰国し、50年4月に東京都立大学応用化学科入学、51年3月同大学中退、53年4月日本大学短期大学部応用化学科入学、55年3月同大学卒業、56年4月日本大学工学部工業化学科編入学、58年3月同大学を卒業した。同年4月より東京国立文化財研究所保存科学部に勤務。77年11月30日、日本大学から漆塗膜に関する研究で工学博士を授与される。79年8月より物理研究室長を務めた。1989(平成元)年3月に同研究所を退官した。90~2000年まで玉川大学通信教育部非常勤講師として、00~02年には東京学芸大学教育学部非常勤講師、02~04年静岡文化芸術大学非常勤講師として教鞭をとり、文化財保存科学の分野において、人材の育成にもつとめた。07年第1回文化財保存修復学会学会賞を受賞。また、文化財虫害研究所評議員、古文化財科学研究会評議員、千葉県文化財保護審議委員、中国泉州文物保護科協議会顧問、色材協会審議委員、漆を科学する会顧問をつとめた。
 東京国立文化財研究所では、伝統技法と文化財の保存・修復に関する研究を進めた。研究対象は日本画材料、油絵材料、木材など、すべての美術品材料に及んでいるが、顕著な業績として、漆工芸品の保存のために漆材料の研究、硬化条件と物性、漆材料と顔料の相互作用、分析手法の検討とデータの集積、混合する油の影響について検討した。基礎的な研究から現場で試験可能な方法の応用開発、出土資料の分析にも成果が展開され、日本の文化財科学の進展に多大な功績を残した。
 文化財の保存に関わる研究においては、新築のコンクリート造建物内で美術品が受ける影響、防腐剤・防虫剤の影響について化学的な研究を進めるとともに、文化財の長期保存のための環境の監視方法や湿度調整方法、伝統技法の効果について科学的検証を進め、収蔵庫に求められる条件を明示し、特に酸・アルカリ対策の必要性を明確にした。室内空気の偏酸・偏苛性を判断する変色モニター、変退色に対する光モニター、防湿性・ガスバリア性を持つ二軸延伸ビニロンフィルム法による保存手法の開発など時代をリードする画期的な、かつ、利用者の視線に沿った環境監視ツールの開発は、文化財保存現場の管理能力底上げに資するものであった。
 国宝・東照宮陽明門修理、岩内山遺跡北陸自動車関係遺跡調査、メスリ山古墳奈良県史跡名勝天然記念物調査、上総山王山古墳調査、宮城県多賀城席調査、史跡・虎塚古墳彩色壁画調査、茨城県教育財団鹿の子C遺跡漆紙文書調査、寿能泥炭層遺跡調査、千葉県香取郡栗源町台の内古墳調査、二条城書院環境調査、小山市宮内北遺跡文化財調査、糸井宮前遺跡Ⅱ加熱自動車道地域埋蔵文化財調査、港区済海寺・長岡藩牧野家墓所発掘調査、粟野町戸木内遺跡埋蔵文化財調査、中田横穴保存状態調査、出雲岡田山古墳調査、石巻市五松山洞窟遺跡文化財調査、大歳御祖神社拝殿調査、広島壬生西谷遺跡美亜像文化財調査、久米島具志川村清水貝塚発掘調査、杉谷三号墳八区調査、一の谷中世墳墓群遺跡調査、厚木市吾妻坂古墳調査、長柄町横穴群徳増支群発掘調査などに保存科学者として関わり、多くの報告を著した。
 研究成果は雑誌に数多発表され、『古文化財之科学』、『日本漆工』、『色材協会誌』、『塗装技術』、『塗装工学』、『塗装と塗料』、『考古学雑誌』、『保存科学』、『文化財の虫菌害』、『照明学会誌』、『博物館学雑誌』、『博物館研究』、『文化庁月報』、『建築知識』などで読むことができる。

出 典:『日本美術年鑑』平成30年版(437頁)
登録日:2020年12月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「見城敏子」『日本美術年鑑』平成30年版(437頁)
例)「見城敏子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/824206.html(閲覧日 2024-04-20)

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