合田佐和子

没年月日:2016/02/19
分野:, (美)
読み:ごうださわこ

 美術家の合田佐和子は2月19日、心不全のため死去した。享年75。
 1940(昭和15)年10月11日高知県高知市にて、父正夫、母善子の間に五人兄弟の長女として生まれる。戦争中は呉市に住むが、戦後高知市へ戻り、焼け跡でがらくたを拾いはじめる。私立土佐中学校・高等学校時代には手芸に親しみ、編みぐるみ人形などを制作、卒業後は武蔵野美術学校(現、武蔵野美術大学)本科商業デザイン科に入学。在学中は学校になじめず、道端のガラスや金属片を集めてオブジェを制作するかたわら、宝石デザインやジュニア向け雑誌のカットを描くアルバイトなどに勤しんだ。同校卒業後の64年瀧口修造を訪問、作りためたオブジェを見せ、個展開催を勧められる。また同年11月には同郷の美術家・志賀健蔵と結婚する。65年6月初の個展を銀座・銀芳堂にて開催。針金や釘、ビーズなどによるオブジェを多数発表する。66年1月長女玉青誕生。6月志賀健蔵と離婚する。また同年には作品集『Fun with Junk』(N. Y. Crown社)を欧米にて刊行。67年4月銀座・ルミナ画廊にて個展開催、69年まで同画廊にて毎年展示を行う。作品は毎回大きな変化を見せ、布や紙粘土でつくられた蛇、模様の描かれた卵型、義眼をはめ込んだ手足、子供のトルソや頭部、さらには等身大の頭のない人体など、怪奇な様相を呈するオブジェを次々に発表する。この間、69年12月唐十郎主催の劇団・状況劇場の「少女都市」で小道具を担当、以後も宣伝美術や舞台美術をしばしば担当した。71年1月美術家・三木富雄と結婚。三木のロックフェラー財団によるアメリカ招聘に同行、8月までニューヨークに滞在する。その間、路上でたまたま銀板写真を拾い、また古雑誌や古写真などを収集、日本へ持ち帰る。帰国後、写真をそのままキャンバスに写せば三次元の人物を二次元に置き換えられると気づき、独学で油彩画を描きはじめる。72年3月村松画廊にて鉛筆画と油彩画による初めての個展を開催。以後も村松画廊(1974年)、西村画廊(75年)、渋谷パルコ館ノスタルジアハウス(1976年)、青画廊(1977、78年)などで個展を開く。はじめは見知らぬ人物の写った写真をもとに制作していたが、次第に映画俳優や女優のブロマイドなどを素材とし、グレーを基調に、光と影の強烈なコントラストで人物を描くようになる。この間、72年には状況劇場「鐵假面」のポスターを制作。同年3月三木富雄と離婚。12月次女信代が誕生する。74年5月第11回日本国際美術展(東京都美術館)に「女優(後に「寝台」と改称)」を招待出品。77年2月には寺山修司が主宰する演劇実験室・天上桟敷の「中国の不思議な役人」で舞台美術と宣伝美術を担当、以後も手がけた。この頃より油彩画制作に対する生理的苦痛を感じるようになり、次第にそれ以外の表現を試みるようになる。77年にはポラロイド写真を撮りはじめ、同年暮れには16ミリフィルム作品「ナイトクラビング」を制作。78年娘ふたりとともに訪れたエジプトに魅了され、以後も数度にわたり訪れる。81年4月初めてのポラロイド写真展をアートセンターevent-spaceで開催。83年12月オブジェや絵画、写真などを集めた総合的な回顧展「Pandra 合田佐和子展」(STUDIO PARCO Gallery View)を開催する。85年4月娘ふたりとともに永住を決意してエジプトへ渡り、アスワン近辺のジャバルタゴークに住む。エジプトでは大量の写真を撮影、接写レンズをとおして見ることで、「物には全て眼がある」との気づきを得る。86年4月に帰国した後は、眼などの対象をクローズアップで捉えた作品を制作、色調も明るくなり、まばゆいばかりの光が溢れる画面となる。88年7月エジプトで撮り溜めた写真による作品集『眼玉のハーレム』(PARCO出版)刊行。同年9月突如霊的なインスピレーションを受け、オートマティックなドローイングを多数制作するも、その反動から翌1989(平成元)年1月入院。92年1月には足で描いた「足の指のセンセーション」などを個展(GALLERY HOUSE MAYA)で発表する。同年6月次女信代との写真展をポラロイドギャラリーにて開催。94年3月それまでの作品を数百点規模で集めた回顧展「現代のアーティストシリーズVOL.4 合田佐和子展」(富山市民プラザ アートギャラリー)を開催する。2000年眼の網膜を病み、一時右目が見えなくなるが快復。この間には眼を閉じたままノートにペンを走らせるブラインド・デッサンをひたすらつづけた。01年2月森村泰昌との二人展を高知県立美術館にて開催。03年10月新作6点を含む総合的な回顧展「合田佐和子 影像―絵画・オブジェ・写真―」(渋谷区立松濤美術館)を開催する。10年3月ギャラリー椿にて個展開催、やっと思う世界を描き始めているという手ごたえを感じたという。13年6月みうらじろうギャラリーでの個展へ、「今、私は新しい世界の入り口に立っています」との文章を寄せ、明確なモチーフのない初めての作品「色えんぴつのラインダンス」などを発表した。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(534-535頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「合田佐和子」『日本美術年鑑』平成29年版(534-535頁)
例)「合田佐和子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818671.html(閲覧日 2024-12-03)

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