南嶌宏

没年月日:2016/01/10
分野:, (評)
読み:みなみしまひろし

 美術評論家の南嶌宏は、1月10日、脳梗塞のため松本市内の病院で死去した。享年58。
 1957(昭和32)年10月4日、長野県に生まれる。本名は南島宏。兄は彫刻家の南島隆。長野県立飯田高等学校、筑波大学芸術専門学群芸術学専攻卒業。インド放浪を経て、いわき市立美術館に赴任。85年、自身最初の展覧会として「もうひとつの美術館―解体を巡って」を企画。87年、広島市現代美術館に赴任。30代の始めからは青山・スパイラル、佐賀町エキジビット・スペースなど、所属する美術館の外での展覧会もいくつか手掛ける。1990(平成2)年に広島市現代美術館を退職、東京に拠点を移す。のちに熊本市現代美術館設立準備室に籍を置くまでインディペンデントとして活動し、この間にライフワークともいえるテーマ、「東欧の美術」「女性アーティスト」「いけばな」など現代美術が扱うことのなかった分野をじっくりと育む。93年、カルティエ現代美術財団奨学生としてパリへ留学。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のなか、戦場に近い東欧全域を訪問。またこの留学中に中国人キュレーター、ホー・ハンルーと知遇を得る。留学の成果のひとつとして97年「分析と解釈 中央ヨーロッパの現代美術」(資生堂ギャラリー)を企画。2000年から熊本市現代美術館の運営に参画し学芸課長兼副館長、館長を歴任。同館では「ATTITUDE 2002 心の中の、たったひとつの真実のために」(2002年)、「生人形と松本喜三郎 反近代の逆襲」展(2004年)、「ATTITUDE 2007 人間の家:真に歓喜に値するもの」(2007年)などを企画、美術を通したハンセン病への社会的偏見に対する活動や、生人形や見世物文化の価値を再発見する取り組みを行った。08年に熊本市現代美術館館長を退任、女子美術大学芸術学部芸術学科教授に就任。同年、第1回プラハ国際芸術トリエンナーレ国際キュレーター。09年第53回ベネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナー。全国美術館会議理事、国際美術評論家連盟など歴任。第3回西洋美術振興財団学術賞受賞(2008年)。単著に『ベアト・アンジェロ 天使のはこぶもの』(トレヴィル、1992年)、『サンタ・マリア』(トレヴィル、1993年)、『豚と福音』(七賢出版、1997年)、共著に『現代美術入門』(美術出版社、1986年)、『日本藝術の軌跡』(夏目書房、2003年)、『美術批評と戦後美術』(ブリュッケ、2007年)など。歿後、2月28日に杉並区の女子美術大学杉並キャンパス110周年記念ホールでお別れ会が催された。

出 典:『日本美術年鑑』平成29年版(532-533頁)
登録日:2019年10月17日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「南嶌宏」『日本美術年鑑』平成29年版(532-533頁)
例)「南嶌宏 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818651.html(閲覧日 2024-10-10)

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