水木しげる (みずきしげる)

没年月日:2015/11/30
分野:, (漫)

 漫画家の水木しげるは、11月30日多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。享年93。
 1922(大正11)年3月8日大阪に生まれ、鳥取県境港市で育つ。本名武良茂(むらしげる)。境小学校高等科在学中に教員が水木の絵のうまさに驚き個展を開催したという。美大を目指すがかなわず、1941(昭和16)年日本大学附属夜間中学に入学。43年召集。南方の最前線ニューブリテン島へ配属、ラバウル、ココポ、バイエンを転戦、マラリアにかかり、さらに空爆で負傷し左腕を失う。敗戦後もラバウル近郊に滞留し、現地のトライ族と親しくなる。この体験が後の南方との交流となる。46年3月復員。48年武蔵野美術学校に入学するも、生活できず、51年神戸で紙芝居の仕事につく。50年代前半の紙芝居時代に後の「鬼太郎」や「河童の三平」のモチーフを見出している。50年代後半、紙芝居の衰退から貸本漫画へ転向、57年上京。58年『ロケットマン』(兎月書房)でデビュー。この1年間に17冊を刊行、SF、戦記、怪奇といったジャンルを確立していく。60年代前半は貸本漫画も斜陽なメディアとなり生活も苦しくなる。64年青年漫画誌『ガロ』が創刊され短編を発表しつつ、65年『別冊少年マガジン』に「テレビくん」が掲載され、第6回講談社児童漫画賞を受賞する。66年東京都調布市の自宅に水木プロ設立、週刊誌、学年誌に連載が始まり売れっ子となる。画風は、代表的なキャラクター「ねずみ男」に見られるように顔は面長が多く、背景は資料に基づく細密描写が群を抜き、ベタはもちろん背景を描き込む黒いマンガの代表格であろう。ビンタのオノマトペ「ビビビビン」は戦時中の体験からの発想か、特色を示す。68年、『週刊少年マガジン』に連載の「墓場の鬼太郎」が「墓場」は暗いので「ゲゲゲの鬼太郎」と改題されテレビアニメとなり、さらに「河童の三平・妖怪大作戦」が実写版でテレビ放映され、妖怪ブーム到来、中心人物としてメディアへの露出が多くなる。73年日本民俗学会に入会(1999年評議員)。同年、戦記漫画の傑作とされる『総員玉砕せよ!聖ジョージ岬・哀歌』(講談社、現在講談社文庫、同書は2009年フランスのアングレーム国際コミック・フェスティバルで遺産賞、2012年アメリカのウィル・アイズナー賞最優秀アジア作品賞を受賞)を刊行。この頃から、妖怪、幽霊、妖精などの画集、入門書の刊行が多くなる。74年からアジアを中心に年末は海外旅行を行なうようになる。1989(平成元)年、『コミック昭和史』(講談社、1988年)で第13回講談社漫画賞受賞。91年紫綬褒章受章。93年境港市にキャラクターの人形を設置した「水木しげるロード」がつくられる。95年、妖怪人類学会設立、後に世界妖怪協会となる。2003年境港市に水木しげる記念館開館。同年手塚治虫文化賞特別賞受賞、旭日小綬章受章。04年鳥取県立博物館他9カ所で「水木しげる展」が巡回。07年アングレーム国際コミック・フェスティバルで「のんのんばあとオレ」が最優秀コミック賞を受賞。10年文化功労者となる。13年より講談社から『水木しげる漫画大全集』(第2期まで68巻、第3期35巻が2017年刊行中)が出版されている。伝記に『妖怪と歩くドキュメント・水木しげる』(足立倫行著、文春文庫、1997年)など。自伝に『ねぼけ人生』(ちくま文庫、1986年)などがある。年譜については『文藝別冊KAWADE夢ムック、水木しげる』(2016年)に収録されている関東水木会・平林重雄編「水木しげる年譜」が詳しい。また10年、妻の武良布枝著『ゲゲゲの女房』(実業之日本社、2008年)がNHK朝ドラマとなり大ヒットした。

出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(560-561頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2019年01月23日 (更新履歴)
以下のデータベースにも「水木しげる」が含まれます。
to page top