スタン・アンダソン

没年月日:2015/09/14
分野:, (美)
読み:Stanley N.Anderson

 造形作家スタン・アンダソンは、9月14日、心筋梗塞のため死去した。享年68。
 1947(昭和22)年、アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイク・シティに生まれる。66年にモルモン教布教のために初来日、69年まで滞日。71年、ユタ大学心理学科を卒業。73年に再来日し、75年から79年まで美学校の小畠廣志教室で木彫刻を学んだ。80年に帰国して、ニューヨークのプラット・インスティテュート大学院で彫刻、美術史を学び、82年に修了。同年再来日、埼玉県入間市、後に飯能市に住む。以後、国内各地の野外彫刻展にインスタレーションの作品を発表するようになった。なかでも、84年9月、現代彫刻国際シンポジウム(会場:滋賀県守谷市第2なぎさ公園、主催:びわこ現代彫刻展実行委員会、協賛:ブリティッシュ・カウンシル、美術館連絡協議会)に自作のインスタレーションを出品したのに加え、同展のために来日した英国の美術作家デイヴィッド・ナッシュ(David Nash、1945-)の座談会のための通訳をつとめた。ナッシュから制作上の恩恵を受け、これが縁で、1994(平成6)年6月の北海道立旭川美術館の「デイヴィッド・ナッシュ 音威子府の森」展では、ナッシュのアシスタントを務めた。
 87年、栃木県立美術館の「アートドキュメント ‘87」で優秀賞を受賞。88年から、世田谷美術館のワークショップに講師として参加、2014年まで継続した。また、埼玉県立近代美術館、三重県立美術館をはじめ、国内各地で開催されたグループ展、ワークショップに積極的に参加した。05年、群馬県吾妻郡六合村の暮坂芸術区に移住。(同村は10年に中之条町に合併)暮坂芸術区は、群馬県の芸術振興に尽力した実業家井上房一郎(1898-1993)が、芸術村として開発をはじめた地であった。同地の自然、野生動物などを素材に、あるいはモチーフにした作品を制作しはじめ、同地での作品を09年群馬県立近代美術館にて、「スタン・アンダソン 東西南北天と地―六合の一年」の個展で公開した。自然から取り出した竹、木、石、動物の毛皮、骨などを素材に、自然が織りなす時間、空間の表情を表現しようとしていた。これに加えて、ネイティヴ・アメリカン、オーストラリアのアボリジニ、日本のアイヌへの関心も深く、現代が忘れた自然への信仰と畏怖への意識もつねに漂わせていた。11年の中之条ビエンナーレでは、居住する同地の古道を、下草を刈りながら再生するプロジェクトをはじめた。これは13年の同ビエンナーレにおいて「犬の散歩道:暮坂高原古道再生プロジェクト」と名付けられ、15年の同ビエンナーレでは、18キロにもおよんだ古道でのワークショップを開幕する直前に急逝した。かざらない純朴で、温厚な人柄とやさしく、的確な日本語の語りは、アーティストとしての自然志向の表現とともに、一般にも広く親しまれていた。一方90年代からは、制作のかたわら、日本語の能力を評価され、国内の美術館カタログの日本語の論文等の英訳に従事することが多くなった。国内の美術館界にとっては、海外への美術情報の発信という点からも、その正確な英訳は高く評価されていた。
 没後の16年10月-12月、群馬県立館林美術館にて、「大地に立って/空を見上げて-風景のなかの現代作家」展が開催され、紙漉き作品、立体作品、ドローイングなどが出品され、あわせて活動の記録写真、映像も公開された。同展カタログに掲載された同題名のテキスト(松下和美)によって、その創作の意義が解説され、「略歴」、「主要参考文献」にその事績が簡潔に記されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(552-553頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「スタン・アンダソン」『日本美術年鑑』平成28年版(552-553頁)
例)「スタン・アンダソン 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/809146.html(閲覧日 2024-04-26)
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