丹野章

没年月日:2015/08/05
分野:, (写)
読み:たんのあきら、 Tanno, Akira*

 写真家の丹野章は8月5日急性肺炎のため八王子市内の病院で死去した。享年89。
 1925(大正14)年8月8日、東京に生まれる。1947(昭和22)年、大内写真工房に入社、大内英吾のもとで広告写真にとりくむ。日本大学専門部芸術科で写真を専攻、49年卒業。51年に独立、フリーランスとなる。57年、戦後に出発した若手写真家による展覧会、第一回「10人の眼」展に<サーカス>連作を出品。同展の主要メンバー東松照明、奈良原一高らと59年自主エージェンシーVIVOを結成(1961年に解散)。初めての写真集として『ボリショイ劇場』(音楽之友社、1958年)を刊行するなど、舞台写真から身体表現へと関心を広げ、その他の写真集に70年代から長くとりくんだ主題による『壬生狂言』(イメージハウス、1990年)、『壬生狂言』(光陽出版社、1992年)、『日本で演じた世界のバレエ1952-1972』(イメージハウス、1995年)などがある。また炭鉱や基地問題など社会的主題の取材にもとりくみ、日本写真リアリズム集団にも参加、1989(平成元)年から2001年まで理事長を務めた。98年、第48回日本写真協会賞功労賞を受賞。死去の翌月、初期作品による写真集『昭和曲馬団』(禅フォトギャラリー、2015年)が刊行され、刊行記念の個展(東京・禅フォトギャラリー)が開催されるなど、晩年その仕事への再評価が始まっていた。
 また日本写真家協会の著作権委員として著作権法の改正について70年、国会で意見陳述し、71年の日本写真著作権協会の創設に尽力、写真の著作権保護期間延長に関する活動に長く携わった。その功績に対し、99年、著作権制度百年記念功労者として文部大臣表彰を受けた。また2000年代に入り、03年には新たに創設された日本写真家ユニオンの初代理事長に就任、また個人の肖像権保護意識が高まる中、『撮る自由―肖像権の霧を晴らす』(本の泉社、2009年)を著すなど、社会的存在としての写真家の権利と自由について発言を続けた。

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出 典:『日本美術年鑑』平成28年版(546頁)
登録日:2018年10月11日
更新日:2019年06月06日 (更新履歴)
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