伊藤鄭爾 (いとうていじ)

没年月日:2010/01/31
分野:, (学)

 建築史家で工学院大学名誉教授の伊藤鄭爾は、1月31日、呼吸不全のため死去した。享年88。1922(大正11)年1月11日、岐阜県安八郡北杭瀬村(現、大垣市)に生まれる。1942(昭和17)年第四高等学校を卒業後、東京帝国大学第二工学部建築学科に入学。45年卒業後、東京大学第二工学部大学院を経て、48年東京大学副手、49年同助手。病気療養等を経て、63年より65年までワシントン大学客員教授。72年工学院大学教授、75年同学長、78年同理事長。1992(平成4)年同定年退官、同大学名誉教授。97年より99年まで財団法人文化財建造物保存技術協会理事長。建築史研究者としてはほぼ一貫して民家を中心とする日本の中近世住宅史をフィールドとしたが、日本の建築文化の海外への紹介に早くから取り組んだほか、建築評論の分野でも活躍した。大学院在学中から関野克の指導を受け、54年より今井町を訪れ、今西家をはじめとする町屋の調査に携わった頃から本格的な民家研究を開始する。56年に建築写真家の二川幸夫と知り合い、翌年から共著で『日本の民家』(美術出版社)全10巻を出版して注目され、うち『日本の民家』「高山・白川」「山陽路」で59年に毎日出版文化賞受賞。61年には「日本民家史の研究(中世住居の研究)」で日本建築学会賞(論文)を受賞。同年に「中世住居の研究」にて工学博士号を取得している。その一方で、建築家や社会学者との協働を模索し始めるとともに、60年に東京で開催された世界デザイン会議の準備に携わったことなどを契機に、米国との国際的な交流にも関わるようになる。65年にオレゴン大学の金沢幸町調査でコーディネーターを務め、その成果を『国際建築』誌に発表した際に「デザイン・サーヴェイ」の語を初めて日本に紹介したとされる。この時期の伊藤は、『日本デザイン論』(鹿島出版会、1966年)や磯崎新などとの共著による『日本の都市空間』(彰国社、1968年)を刊行するなど、建築評論家としての印象が強く、マスメディア等でも積極的に発言した。工学院大学に教職を得てからは、倉敷などでの町並み調査や保存計画づくりを率いるとともに、文化財保護審議会の専門委員などとして、町並み保存制度の整備・拡充に貢献した。上記以外の主な著作に、『中世住居史』(東京大学出版会、1958年)、『民家は生きてきた』(美術出版社、1963年)、『谷間の花が見えなかった時』(彰国社、1982年)、『重源』(新潮社、1994年)など。また、“The Gardens of Japan”(Kodansha international、1984年)ほか、英語での著書や著作の外国語訳も多数出版されている。

出 典:『日本美術年鑑』平成23年版(428頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2019年02月13日 (更新履歴)
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