江里佐代子

没年月日:2007/10/03
分野:, (工)
読み:えりさよこ

 截金師で人間国宝の江里佐代子は、滞在先のフランス東北部アミアンで10月3日、脳出血のため死去した。享年62。1945(昭和20)年7月19日、京都市の刺繍工芸京繍の老舗に生まれる。64年に京都市立日吉ヶ丘高校美術課程日本画科、66年に成安女子短期大学意匠科染色コースを卒業。74年に仏師江里康慧と結婚したことで、工房に出入りする職人から技術を学び始め、夫康慧がつくる仏像に彩色や金泥をほどこした。その後、江里は、截金技法が途絶えることを危惧していた江里家の希望をくみ、78年に北村起祥のもとに弟子入りして截金の技法を学んだ。截金は、本来、仏像や仏画を荘厳する技法であるが、江里はそれを棗、香盒、筥などの工芸品に応用し、截金技法の新しいあり方を追求していった。そうした工芸品の小さな平面には、金、銀、プラチナなどの截金線や截箔が自在に組み合わされて精緻かつ可憐な文様に結実し、完結した小世界が生み出されている。自身は、あるインタビューのなかで、高校や大学では日本画家を目指したが、女流画家の道は厳しいため、身近であった工芸美術の分野に進もうと考えていたと語っている。江里がかねてから抱いていた希望と新たに習得した截金技法とが見事に結びつき、伝統技法が現代に息を吹き返したと言えるだろう。江里は、81年のアメリカ・サンタフェでの「截金展」をかわきりに個展を開き、作品を発表していった。最初の3回までは工芸の個展であったが、1990(平成2)年からは夫康慧と合同で作品を発表し始め、伝統技法の原点と発展との二つの側面が伝えられるよう努めたという。公募展にも積極的に参加しており、82年の京都府工芸美術展では、初出品にして截金彩色屏風「萬象放輝」が大賞に選ばれたのをはじめ、86年の京展には截金衝立「コスミックウェーブ」を出品し、京都市市長賞を受賞した。83年、第30回日本伝統工芸展で、截金彩色飾小筥「たまゆら」が初入選、以降、毎年連続出品した。91年、同展において、截金彩色八角筥「花風有韻」が最高賞の日本工芸会総裁賞、2001年には截金飾筥「シルクロード幻想」が高松宮記念賞を受賞した(いずれも文化庁所蔵)。この間、86年に日本工芸正会員に認定、93年には、第40回日本伝統工芸展鑑査員、また04年には第51回同展鑑・審査員を務めている。90年「心と技―日本の伝統工芸」(北欧巡回展、文化庁主催)、「江里佐代子截金展」(ドイツ・フランクフルト JALプラザ)など国外の展覧会にも出品、截金の実演を披露するなど、よりひろく截金の魅力を伝えた。2000年以降、江里は、次々と截金の新たな展開と可能性を追求していった。頻繁に使用される香盒や棗などには、金箔が矧がれるのを防ぐために截金と漆芸を融合させた技法を応用。また、公共施設などの壁面装飾やスクリーンなどの大規模な作品にも、意欲的に取り組んだ。2000年には第13回京都美術文化賞受賞、02年に重要無形文化財「截金」保持者(人間国宝)に認定されたが、当時最年少での人間国宝認定であった。同年、第22回伝統文化ポーラ賞、03年第21回京都府文化賞功労賞、06年京都市文化功労者受賞ほか受賞多数。05年「金箔のあやなす彩りとロマン―人間国宝江里佐代子・截金の世界展」(佐野美術館ほか巡回)を開催した。07年、イギリス・大英博物館で開催された展覧会「Crafting Beauty In Modern Japan」で截金の実演と講演を行い、その後、次作研究のために訪れたフランス・アミアンで急逝。アミアン大聖堂を訪問直後のことだったという。

出 典:『日本美術年鑑』平成20年版(386-387頁)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「江里佐代子」『日本美術年鑑』平成20年版(386-387頁)
例)「江里佐代子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28399.html(閲覧日 2024-04-19)

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