吉田漱
歌人で美術史家の吉田漱は8月21日、肺炎のため死去した。享年79。1922(大正11)年3月11日、東京府北豊島郡雑司谷町(現豊島区南池袋)で彫刻家吉田久継の長男として生まれる。1941(昭和16)年東京美術学校油絵科に入学。43年の学徒出陣により中国大陸中部を転戦。敗戦、復員後の47年に東京美術学校を卒業。この年アララギ歌会に出席し土屋文明に入門、翌年にはアララギの若手集団「芽」に参加。49年東京の区立中学教員となる。51年には近藤芳美を中心とする歌誌『未来』の創刊に参加。56年には歌集『青い壁画』を刊行、さらに短歌に関する編集・注釈にたずさわる一方で64年に『開化期の絵師・小林清親』(緑園書房)を出版、以後美術史、とくに浮世絵関係の執筆をも多く手がけるようになる。『浮世絵の基礎知識』(雄山閣出版 1974年)では絵師伝中に墓所の記述を添えるなど、行動力に基づき実体験で立証する真摯で手堅い学風だった。67年東京都立秋川高校へ転任。自身がエスペランティストだったこともあり、69年には利根光一のペンネームでエスペランティスト長谷川テルの一生を描いた『テルの生涯』を著す。70年代に入ると美術教育に関する執筆も増え、76年に横浜国立大学教育学部講師となり、同年から78年まで文部省高等学校学習指導要領作成協力者を務める。78年岡山大学教育学部助教授、79年同大学教授となり85年に退職、同大学大学院講師(87年まで)、多摩美術大学講師(90年まで)を務める。小林清親研究の延長で出会った河鍋暁斎の研究とその再評価にも大きく貢献し、87年には河鍋暁斎研究会会長となる(94年まで)。1992(平成4)年日本浮世絵協会第11回内山賞を受賞。95年第31回短歌研究賞、98年『「白き山」全注釈』で第9回斎藤茂吉短歌文学賞を受賞。生前の『未来』570号(1999年7月)に詳細な自筆年譜が掲載されている。
主要著書(美術関係)
『開化期の絵師・小林清親』(緑園書房 1964年)
『浮世絵の基礎知識』(雄山閣出版 1974年)
『浮世絵の見方事典』(溪水社 1987年)
登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)
例)「吉田漱」『日本美術年鑑』平成14年版(244頁)
例)「吉田漱 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28230.html(閲覧日 2024-10-10)
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