歌川豊國
読み:うたがわとよくに
日本画家の歌川豊國は11月13日午後、大阪府東大阪市の自宅で死亡しているのを知人によって発見された。享年97、急性心疾患とみられる。1903(明治36)年2月3日、東京都麻布区笄町で浮世絵師二代歌川国鶴の次男として生まれ、国春と名付けられる。母向山ゆた(号玉峯)も四条派の画家。幼いころより父から浮世絵・美人画の手ほどきを受け、親に従って東京から大阪、堺、京都と転居を重ねる。尋常高等小学校時代を過ごした京都では、二条柳馬場に住み、中井汲泉からも絵を学んだという。1920(大正9)年に父が没すると叔父の歌川国松に引き取られて大阪に移るが、やがて叔父の弟子に連れられて東京に出、そこで写真背景画を描くようになる。23年の関東大震災を期に大阪に転居し、写真背景画で独立自営をはじめる。終戦直前直後は物資不足もあって画業を中断し、写真機材製造輸出会社を経営したりした。1967(昭和42)年ころに画業復帰を決意し、72年ころから石切神社に勤務しながら日本画家中村貞以のもとで修行を積み、父や叔父の遺志を継いで六代豊国を名乗るようになる(76年、戸籍上でも「国春」から「豊国」へと改名し、91年には「豊國」と改めた)。「最後の浮世絵師」と呼ばれて東京日本橋三越をはじめ数多くの百貨店で個展を開催、76年文化功労部門で大阪市より市民表彰を受けた。画業に専念させるという父親の意向で尋常高等小学校しか卒業しなかったが、晩年になって自身の経験と浮世絵の歴史を書きのこすため一念発起、1996(平成8)年に93歳で大阪府立桃谷高等学校定時制夜間部に入学、99年には近畿大学法学部法律学科二部に合格し、「現役最高齢の大学生」として話題になった。没後、次男の博三が七代豊國を継いだ。
出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(242-243頁)登録日:2014年10月27日
更新日:2023年09月25日 (更新履歴)
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例)「歌川豊國」『日本美術年鑑』平成13年版(242-243頁)
例)「歌川豊國 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28201.html(閲覧日 2025-04-26)
例)「歌川豊國」『日本美術年鑑』平成13年版(242-243頁)
例)「歌川豊國 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/28201.html(閲覧日 2025-04-26)
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