鈴木博之

没年月日:2014/02/03
分野:, (学)
読み:すずきひろゆき

 国内の近代建築の保存に尽力した東京大学名誉教授の建築史学者鈴木博之は、2月3日午前8時59分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。享年68。
 1945(昭和20)年5月14日、一時滞在先の埼玉県で出生するが、生家は江戸期に幕臣をとつめた家系で東京在住であり、東京にて育つ。68年東京大学工学部建築学科を卒業し大学院に進学。稲垣栄三、村松貞次郎に師事し、卒業論文は「アール・ヌーヴォーの研究」であった。在学中の67年、『音楽芸術』公募論文に「スクリャービン試論」で応募して入賞。71年から74年まで法政大学非常勤講師となり、倉田康男が68年から始めていた高山建築学校に参加するようになる。一方、高度成長期に従来の建築物を取り壊して高層建築がさかんに作られる中で、藤森照信らと近代建築の保存運動に関わり、その論理的支柱を模索していく。72年、ジョン・サマーソン著『天井の館』の翻訳を刊行。同年、毎日新聞百周年懸賞論文に、近代都市における歴史性の重要さを説いた「都市の未来と都市のなかの過去」で応募し一等を受賞。74年に『都市住宅』7402、7403号誌で「建築保存新工夫」特集を組み、欧米の建築保存の例を紹介した。同年に東京大学工学部専任講師となり、以後2009年3月の退官まで同学で教鞭を執る。また、同年から75年にロンドン・コートールド美術研究所に留学して19世紀の英国建築史および日本に近代建築をもたらしたジョサイア・コンドルとその師ウィリアム・バージェスについて調査研究する中で、西欧近代建築における装飾性の問題と、日本における近代の表現についての考察を深めた。76年にサマーソン著『古典主義建築の系譜』(中央公論美術出版)の翻訳を、77年、『建築の世紀末』(晶文社)を刊行。80年にニコラウス・ペヴスナー著『美術・建築・デザインの研究』(鹿島出版会)の翻訳を刊行し、他分野の造形と建築との比較についての思索を深め、84年に『建築の七つの力』(鹿島出版会)を刊行。人の営みによって同一の地に建つ建築物が消長する中にも一貫した土地の性格がうかがえることを指摘した『東京の地霊』(文藝春秋、1990年)などにより1990(平成2)年にサントリー学芸賞受賞。同年、東京大学工学部建築学科教授となった。93年、米国に滞在しハーヴァード大学で美術史を講ずる。96年、「英国を中心としてヨーロッパ建築についての一連の歴史的意匠研究」で日本建築学会賞(論文)を受賞。2008年、難波和彦の企画により鈴木の業績をふりかえる「鈴木博之教授退官記念連続講義「近代建築論」」を8回にわたって開催。同講義は09年2月3日に行われた「建築 未来への遺産」と題する自らの足跡をたどる鈴木の最終講義を含めて『近代建築論講義』(鈴木博之・東京大学建築学科編、東京大学出版会、2009年)として刊行された。同書の「現代の視線」「場所の意義」「近代の多面性」の3章からなる構成および各論考は、鈴木の建築論のエッセンスを映し出している。09年3月に定年退官。後任に、84年から08年まで大阪大学非常勤講師を務める中で交遊を深めた建築家・安藤忠雄を迎え、建築学におけるアカデミズムにも一石を投じた。09年4月からは青山学院大学教授となった。
 アジア太平洋戦争敗戦の年に生まれ、東大闘争が始まった年に同学を卒業したことを、鈴木は自らの社会的位置として生涯、重くとらえていた。また、西欧近代の機能主義が推進されていく中で、一時代の価値観上の勝者のみが評価されることに疑問を呈し、敗者の側からの視点を持ち続けた。約半世紀におよぶ活動の中で、建築設計や町づくりにおける建築史学の視点の必要性を認識させるとともに、都市の歴史を目に見える形で残すことの重要性を主張し、自ら保存活用運動に加わって、中央郵便局や東京駅ほかの保存と復元に尽力した。また、そうした事業に必要な建築関係資料の収集・保存・活用を訴えて、13年に開館した国立近現代建築資料館の設立にも寄与した。一方で、晩年は数年間、肺がんと闘病しつつ、近代庭園史に大きな足跡を残した庭師、小川治兵衛の研究を進め、最晩年に『庭師小川治兵衛とその時代』(東京大学出版会、2013年)を刊行。同著作によって14年度日本建築学会著作賞を受賞した。日本建築学会、建築史学会でも活躍し、97年日本建築学会副会長、03年から05年まで建築史学会会長、同年から07年まで同監事を務めた。10年からは博物館明治村館長を務めていた。詳細な著作目録が『建築史学』63号(2014年9月)に掲載されている。
 主要著書:
『建築の世紀末』(晶文社、1977年)
『建築の七つの力』(鹿島出版会、1984年)
『建築は兵士ではない』(鹿島出版会、1980年)
山口廣と共著『新建築学大系5 近代・現代建築史』(彰国社、1993年)
『見える都市/見えない都市―まちづくり・建築・モニュメント』(岩波書店、1996年)
『ヴィクトリアン・ゴシックの崩壊』(中央公論美術出版、1996年)
『都市へ』(中央公論新社、1999年)
『現代建築の見かた』(王国社、1999年)
『現代の建築保存論』(王国社、2001年)
『都市のかなしみ―建築百年のかたち』(中央公論新社、2003年)
伊東忠太を知っていますか』(王国社、2003年)
『場所に聞く、世界の中の記憶』(王国社、2005年)
『皇室建築 内匠寮の人と作品』(建築画報社、2005年)
磯崎新・石山修武・子安宣邦と共編著『批評と理論―日本―建築―歴史を問い直す、7つのセッション』(INAX、2005年)
石山修武・伊藤毅・山岸常人と共編『シリーズ都市・建築・歴史 7 近代とは何か』、『シリーズ都市・建築・歴史 8 近代化の波及』、『シリーズ都市・建築・歴史 9 材料・生産の近代』、『シリーズ都市・建築・歴史 10 都市・建築の近代』(東京大学出版会、2005-2006年)
監修『復元思想の社会史』(建築資料研究社、2006年)
『建築の遺伝子』(王国社、2007年)
鈴木博之・東京大学建築学科『近代建築論講義』(東京大学出版会、2009年)
磯崎新と共著『二〇世紀の現代建築を検証する』(ADAエディタートーキョー、2013年)
『保存原論―日本の伝統建築を守る』(市ケ谷出版社、2013年)
『庭師小川治兵衛とその時代』(東京大学出版会、2013年)

出 典:『日本美術年鑑』平成27年版(489-490頁)
登録日:2017年10月27日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「鈴木博之」『日本美術年鑑』平成27年版(489-490頁)
例)「鈴木博之 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/247350.html(閲覧日 2024-04-23)

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