堤清二 (つつみせいじ)

没年月日:2013/11/25
分野:, (美関)

 文化功労者、日本芸術院会員で公益財団法人セゾン文化財団理事長の堤清二は11月25日午前2時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。享年86。
 1927(昭和2)年3月30日、東京に生まれる。48年東京大学経済学部在学中に学生運動に参加し共産党に入党するが、翌年除名。51年に同大学を卒業後、西武コンツェルンの創始者で衆議院議長だった父・康次郎の秘書を経て、54年に西武百貨店へ入社。64年の康次郎没後、西武コンツェルン本体を異母弟の堤義明が継ぎ、東京・池袋の西武百貨店を中心とする流通部門を受け継いだ清二は西友、パルコ等を含む西武流通グループ(後にセゾングループと改称)を創設、生活総合産業を掲げ広く事業を手がけた。しかし拡大路線がバブル崩壊で破綻、1991(平成3)年に同グループ代表を辞任し、一線から退いた。一方で55年より筆名・辻井喬として詩や小説を発表。61年には詩集『異邦人』で室生犀星詩人賞を受賞。84年小説「いつもと同じ春」で平林たい子文学賞受賞。グループ代表退任後は旺盛に創作に取り組み、93年詩集「群青、わが黙示」で高見順賞、94年小説「虹の岬」で谷崎潤一郎賞、2000年長編詩「わたつみ 三部作」で藤村記念歴程賞、01年小説「風の生涯」で芸術選奨文部科学大臣賞、04年小説「父の肖像」で野間文芸賞、06年日本芸術院賞恩賜賞、07年詩集「鷲がいて」で読売文学賞を受賞。07年日本芸術院会員、12年文化功労者となる。
 特異な“詩人経営者”としての才能は、美術展をはじめとする文化事業において発揮された。60年に西武百貨店池袋店8階催事場を美術展に用いることを提案し、翌年「パウル・クレー展」を開催。その後も「ジャン・コクトー芸術展」(1962年)、「アーシル・ゴーキー素描展」(1963年)等、百貨店の美術展としては珍しい現代美術を度々取り上げ、75年、池袋店内に常設美術館である西武美術館を開館させる。同館の開館記念展「日本現代美術の展望」の図録に館長として「時代精神の根遽地として」を寄稿、生活意識の感性的表現としての多様な美術および美術館のあり方を示した。さらに78年より美術評論家の東野芳明らの協力のもと、軽井沢に現代芸術の拠点となる新たな美術館創設に向けて準備を始め、81年に軽井沢高輪美術館(現、セゾン現代美術館)が開館、開館記念展として「マルセル・デュシャン展」が開催される。西武美術館は89年にセゾン美術館としてリニューアルオープンし活動を続けるも、バブル崩壊による事業整理により99年に閉館、しかし現代美術を積極的に紹介し、さらに「時代精神の根遽地として」美術の枠を越え文化全般を対象とした展観に取り組んだ姿勢は今なお評価される。一方で87年には私財によりセゾン文化財団を設立し、演劇・美術分野に対して(1991年以降は舞台芸術のみ)助成事業を行なうなど日本の現代芸術の進展を支援。生活意識の中の感性的表現を重視する姿勢は、経営面においてもグラフィックデザイナーの田中一光石岡瑛子らを積極的に起用した広告戦略に見出せる。時代の先端を行く美術、音楽、演劇、映画等を発信する場を店舗内に併設し、老舗百貨店の客層とは違う若い感性を持つ顧客を開拓することで、“セゾン文化”と呼ばれる個性的なライフスタイルを築き上げた。

出 典:『日本美術年鑑』平成26年版(471-472頁)
登録日:2016年09月05日
更新日:2019年02月13日 (更新履歴)
to page top