やなせたかし

没年月日:2013/10/13
分野:, (漫)
読み:やなせたかし

 漫画家、詩人、デザイナー、イラストレーター、絵本作家など多くのジャンルで活躍したやなせたかしは、10月13日心不全のため東京都内の病院で死去した。享年94。
 1919(大正8)年2月6日東京府北豊島郡滝野川町(現、東京都北区)に生まれる。本名柳瀬嵩。自身は故郷については幼少期を過ごした高知県香美郡在所村(現、香美市)としていた。5歳のとき新聞記者だった父が32歳で亡くなり、父母の故郷高知県へ移る。小学校2年のとき母の再婚に伴い、以後伯父夫婦に育てられる。中学時代財布を落とし、15キロも歩いて帰宅途中、友人の母親からアンパンをもらったことが、後のアイデアとなる。1937(昭和12)年東京高等工芸学校(現、千葉大学工学部)に入学、40年田辺製薬宣伝部に入社、41年召集され、中国を転戦、実際の戦闘体験はなかった。終戦後、高知新聞社に入社、漫画を執筆。『月刊高知』にも4コマ漫画やイラストを掲載。47年妻となる小松暢子を追って上京、三越宣伝部に入社、また「漫画集団」に所属、しだいに漫画での収入が安定し、53年フリーとなる。54年ニッポンビール(現、サッポロビール)の広告漫画「ビールの王さま」、56年から『週刊漫画TIMES』では表紙などもてがけ活躍する。60年、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の美術を担当、それが縁で「手のひらを太陽に」を作詞(作曲いずみたく)する。64年から3年間NHKテレビ「まんがの学校」の講師を務める。66年処女詩集『愛する歌』(山梨シルクセンター[現、サンリオ])を出版。69年手塚治虫監督のアニメ「千夜一夜物語」の美術とキャラクターを担当、70年に虫プロでアニメ「やさしいライオン」を監督し、同作で大藤信郎賞を受賞する。73年『詩とメルヘン』を創刊し、30年間編集長を務める。同年「あんぱんまん」を『キンダーおはなしえほん』に掲載、当初書店販売はなく、幼稚園などへの直販だった。「あんぱんまん」は幼児からしだいに人気となり、88年「それいけ!アンパンマン」がテレビ放映へ、翌年文化庁こども向けテレビ用優秀映画賞を受賞、1989(平成元)年からは劇場用アニメも制作された。また同漫画は90年日本漫画家協会大賞を受賞、さらに2009年、単独のアニメでは最多キャラクターを制作したことでギネス世界記録の認定を受ける。08年、やなせたかし展が山梨県立美術館ほか9館を巡回。70歳代からは病を抱えながらもそれまで以上にさまざまな活動を展開、92年から高知県が主催する「まんが甲子園」の審査委員長、2000年から日本漫画家協会理事長、12年からは会長を歴任した。
 著作に『まんが入門』(華書房、1954年)、『アンパンマンの遺書』(岩波書店、1995年)、「やなせたかしアンパンマンの心」『ユリイカ』(2013年8月臨時増刊)、没後の作品集に『やなせたかし大全』(フレーベル館、2013年)などがある。また、故郷の香美市に「やなせたかし記念館、アンパンマンミュージアム」(1996年開館)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成26年版(466-467頁)
登録日:2016年09月05日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「やなせたかし」『日本美術年鑑』平成26年版(466-467頁)
例)「やなせたかし 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/236761.html(閲覧日 2024-04-27)

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