天田昭次

没年月日:2013/06/26
分野:, (工)
読み:あまだあきつぐ

 日本刀で重要無形文化財保持者である天田昭次は6月26日死去した。享年85。
 1927(昭和2)年8月4日、新潟県北蒲原郡本田村本田(現、新発田市)に刀匠天田貞吉の長男として生まれる。本名誠一。37年、父貞吉は死去したが、父の3回忌に訪れた東京の刀匠で日本刀復興運動の提唱者でもあった栗原彦三郎昭秀の誘いを受け、40年小学校卒業するとすぐに上京し、昭秀が設立した日本刀鍛錬伝習所に入門する。最初の作刀は52年、第二次世界大戦後、制作を禁じられていた日本刀の復興を図るため、昭秀が日本政府から許可された「講和記念刀」のうちの3口で、その1口に「昭聖」と銘を切った。その頃伊勢神宮の式年遷宮御神宝大刀の制作依頼が兄弟子にあたる宮入昭平にあり、その助手として奉仕した。54年、文化財保護委員会から日本刀の制作承認を受け、新制度のもとで作刀を行うようになる。55年、財団法人日本美術刀剣保存協会が主催した第1回作刀技術発表会に出品、93名出品中の8位で優秀賞を受賞、57年の第3回、58年の第4回展でも優秀賞を得ている。58年、それまで使用していた鉄では理想としていた相州正宗や貞宗など鎌倉時代の古名刀の域には達しないとして、その元となる製鉄から行わなければならないと考え、自家製鉄の本格的な研究に取り組んだ。しかし60年病により作刀、研究活動は停滞することとなる。68年恢復して作刀を開始し、自家製鉄による作品を第4回新作名刀展(作刀発表会から改称)に出品し、奨励賞を受賞した。70年、第6回展では名誉会長賞、72年に同展の無鑑査に認定され、財団法人日本美術刀剣保存協会より小形製鉄炉の研究で第1回薫山賞を受賞した。77年第13回新作名刀展に無鑑査として出品し、無鑑査を含むすべての出品者の最高賞である正宗賞を受賞した。78年、新潟県無形文化財保持者に認定され、85年、新作名刀展で2度目の正宗賞を受けた。1990(平成2)年、全日本刀匠会理事長に就任し、現代刀匠の技術向上、育成に努めた。97年、国の重要無形文化財保持者に認定され、99年、勲四等旭日小綬章を受章する。
 天田昭次の作品は太刀、刀、脇指、短刀で、伊勢神宮神宝では直刀も製作している。特に鍛えは自家製鉄による鍛肌の美しさを強く出し、刃文は相州伝の明るく冴えた大乱れが多く、また山城伝の直刃を得意としており、正宗賞受賞作も直刃であった。また理論家としての著述も多く、76年、「自然通風炉による古代製鉄復元法実験」(『鉄と鋼』)、2004年『鉄と日本刀』(慶友社)の著書を発表している。

出 典:『日本美術年鑑』平成26年版(458-459頁)
登録日:2016年09月05日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「天田昭次」『日本美術年鑑』平成26年版(458-459頁)
例)「天田昭次 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/236751.html(閲覧日 2024-04-16)

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