大屋美那

没年月日:2013/06/18
分野:, (学)
読み:おおやみな

 フランス近代美術史研究者であり、国立西洋美術館主任研究員の大屋美那は、松方コレクション研究のため訪れたフランス・パリで急性骨髄性白血病を発症し、6月18日聖ルイ病院で急逝した。享年50。
 1962(昭和37)年7月27日、中央公論社の編集者尾島政雄の長女として神奈川県藤沢市に生まれる。81年4月学習院大学文学部哲学科(美学美術史専攻)に入学、88年3月同大学大学院人文科学研究所(哲学専攻)修士課程を修了。同年11月静岡県立美術館学芸員となり、「ピカソ展」(1990年)、「栗原忠二展」(1991年)などを担当、鈴木敬初代館長のもと学芸員としての活動の素地を固める。1992(平成4)年美術館連絡協議会の海外研修派遣制度によりテキサス大学オースティン校モダニズム研究所へ派遣され、セザンヌ研究の大家リチャード・シフ所長のもと研鑽を積む。帰国後の93年、同館の別館・ロダン館の設立準備に参加する一方、ロダン研究の第一人者ジョン・L.タンコックと共同で国際シンポジウム「ロダン芸術におけるモダニティ」を企画し、94年10月、静岡県立美術館を会場にヨーロッパ・アメリカ両大陸のロダン研究者を一堂に集める稀有な機会を実現した。このときに出会ったオルセー美術館彫刻部門学芸員アンヌ・パンジョーやロダン美術館学芸員アントワネット・ル・ノルマン=ロマン、マサチューセッツ工科大学名誉教授ルース・バトラー(所属はいずれも当時)らとは終生親交を深めることになる。1995年、全国美術館会議により組織された阪神・淡路大震災被災美術館支援活動では訪問調査の一員として活躍した。1996年静岡県立美術館退職。1997年国立西洋美術館客員研究員となり、松方コレクションにおけるロダン彫刻作品調査に取り組み、その成果を「松方コレクションのロダン彫刻に関する調査報告」(『国立西洋美術館研究紀要』4号所収、2000年)として発表した。
 2001年4月国立西洋美術館に主任研究官として採用され(2006年度以降は主任研究員)、学芸課絵画・彫刻第二室を経て、07年同課版画素描室長、2010年より同課研究企画室長を務めた。その間、06年3月にロダン美術館とオルセー美術館の協力を得て「ロダンとカリエール」展を実現、国立西洋美術館での開催後に巡回したオルセー美術館で国際的評価を得た。08年から09年まで国立西洋美術館在外研究制度により上述のル・ノルマン=ロマンが所長を務めるフランス国立美術史研究所(INHA)の客員研究員としてパリに滞在し、松方コレクション形成に関与したリュクサンブール美術館長(後にロダン美術館初代館長)レオンス・ベネディットの資料調査など、フランス国立美術館資料室、ロダン美術館資料室ほかで精力的な調査活動を行った。帰国後の10年2月、松方幸次郎と交友しコレクションの指南役ともなった英国の画家に焦点を当てた「フランク・ブラングィン」展を実現、それまで殆ど顧みられることがなかった画家ブラングィンを近代美術史に明確に位置づけたと同時に、松方幸次郎との交友関係を実証的に検証した功績により、11年第6回西洋美術振興財団賞学術賞を受賞した。
 展覧会企画を手がける一方、美術館のコレクションの充実にも力を注ぎ、ジョヴァンニ・セガンティーニ「羊の剪毛」(旧松方コレクション)、ポール・セザンヌ「ポントワーズの橋と堰」(ともに油彩作品)、フランク・ブラングィン「共楽美術館構想俯瞰図、東京」(水彩素描作品)をはじめとする数々の作品購入を担当した。また彫刻コレクションの収蔵展示環境の刷新にも取り組み、近年展示される機会の稀であったロダンやブールデルの作品を一堂に集めた「手の痕跡」展(2012年)に結実させるなど、美術館の現場で働く学芸員としての本領も発揮した。11年頃より担当した個人コレクター橋本貫志の大規模な指輪コレクションの一括寄贈に際しては、国立西洋美術館にとって新分野となる装飾美術の作品収蔵・管理体制の構築に尽力した。
 美術館での公務の傍ら、12年から他界するまでジャポニスム学会理事を務め、また学習院大学、日本大学、東京大学、慶應義塾大学、日本女子大学、放送大学で講師を務めるなど、学会活動・教育活動に従事した。一貫してフランス近代彫刻、松方コレクション研究に取り組み、急逝する直前にはフランス近代の彫刻家カルポーについての研究論文を脱稿している(「ジャン=バティスト・カルポーと1850-60年代のローマ」『ローマ──外国人芸術家たちの都』所収、没後の2013年10月に刊行)。また静岡県立美術館時代以来親交の深かったバトラーによるロダンの評伝の翻訳にも着手していた(出版計画は共訳者らに引き継がれることになり、翻訳・刊行作業が今も続けられている)。なお、13年6月22日発行のフランスの主要紙『ル・モンド』に訃報記事が掲載され、フランス側の美術関係者からも追悼の意が寄せられた。
 論文集として『大屋美那論文選集──印象派、ロダン、松方コレクション』(2014年)、また主要業績をまとめたものに『国立西洋美術館研究』18号(2014年)所収「大屋美那・国立西洋美術館主任研究員 業績目録」(『大屋美那論文選集』に再録)がある。

出 典:『日本美術年鑑』平成26年版(456-457頁)
登録日:2016年09月05日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「大屋美那」『日本美術年鑑』平成26年版(456-457頁)
例)「大屋美那 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/236747.html(閲覧日 2024-03-29)

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